『何とかしろ~、この弱さ!』
世間からお荷物チームと呼ばれサポーターが泣きながらチームに訴えた時代があった。精神面の脆さに勝ちゲームを落とす事も多々あった。優勝するチャンスはあった。だけどこれまでチャンピオンになることはできなかった。
『カップ王者は所詮はカップ王者。真のチャンピオンにあらず。』
セカンドステージや天皇杯を制してもなお、手に入れられないものがあった。
J.LEAGUE CHAMPION
2004年年間2位、2005年年間2位。
浦和レッズが手に入れられないものはそれだった。2005年に至ってはわずか勝点1差で逃したその王座だった。
そして2006年。
開幕戦は王者ガンバ大阪。前週のXerox杯でガンバ大阪を一蹴し、意気揚々と乗り込んだ相手ホーム。しかし結果はリードしながら最終的に追いつかれてのドロースタート。まだ開幕節というのはあるにしても、昨年の準優勝チームである天皇杯王者が5位以下でのスタートという屈辱的な2006年のスタートだった。そしてそれは2005年王者のガンバ大阪も同じだった。
2006年のロケットスタートを決めたのは横浜Fマリノスだった。かつての王者は再び栄光をその手にたぐりよせるべく、無傷の6連勝という恐るべきスタートを切っていた。新時代を築くためには、浦和レッズがかつて1度だけ届きそうだった年間王者の座を奪い取った相手である横浜Fマリノスを、過去のものとして過去に置いてこないといけない。前半戦最大の難所と言われた横浜Fマリノス戦で浦和レッズは勝利を収めた。これ以降、横浜Fマリノスは凋落の一途をたどり、二度と優勝戦線に絡む事はなく、中位以下をさまよう事になり、監督解任という事態にまで陥った。
過去の王者を過去に葬り去った浦和レッズの前に現れたのは開幕から好調の川崎フロンターレとじわじわと迫っていたガンバ大阪だった。W杯をはさんで、この3強の時代が少しずつはじまろうとしていた。
2006年はW杯があった。日本は屈辱的な予選敗退を喫し、世界からの信頼を失った。
そして、激震は続き、この10年近くの日本サッカーを牽引した中田英寿が現役を引退し、1つの時代が終わった。
這い上がらないといけない時代に差し掛かった日本サッカー界を引き継いだのが、イビチャ・オシム監督だった。
Jリーグ功労者であったジーコの影響が強かった時代は、ジーコジャパンの終焉と共に区切りがつき、これからの日本は『再生』というテーマと共にイビチャと歩む事になった。
そのオシムジャパンにはこれまでの日本代表と違って新しい顔がJリーグから選抜された。浦和、千葉、ガンバ大阪といった当時の上位チームから多くの選手が選抜された。
『日本式』
それはJリーグが世界を制するための戦いをはじめる第一歩だったと言える。
そしてそれ以降、Jリーグは更なる活性化を遂げた。
浦和からは鈴木啓太が、ガンバ大阪からは播戸が、川崎フロンターレからは中村憲剛が全国区に躍り出た。
代表でのJリーガーの活躍はJリーグにも影響を及ぼす。
浦和、ガンバ大阪、川崎の3チームが2ヶ月に渡って死闘を繰り広げる。浦和が首位にたった後も、勝点3~7の間でつかず離れずの熱戦を演じてきた。川崎と浦和の死闘は両者譲らずのドローだった。
最終節まで3強の争いが続くのかと世間は思いはじめていた。
しかし11月も終わりに近づき、2006年のJリーグもフィナーレを迎えようとし始めた頃、川崎フロンターレが遂に力尽きた。J2から昇格して2年目。最後の最後で表れたのはリーグを制するだけの体力である選手層の差だった。これによって今年も優勝の可能性を最後まで持ち続けることができたのは昨年のトップ2だけとなった。
かくして2006年12月2日14:05、埼玉スタジアム2002で今年の最後の試合、優勝決定戦が行われた。
J.LEAGUE DIVISION 1 第34節-最終節
埼玉スタジアム2002
2005年天皇杯王者 浦和レッドダイヤモンズ
vs
2005年J.LEAGUE王者 ガンバ大阪
『開幕戦の借りを返す』(三都主) と言われるように、ガンバ大阪を強く意識していたのはむしろ首位の浦和レッズ。アウエーで取れなかった勝点2を奪い返す事は優勝に繋がる事で気合は十分入っていた。一方、『気負ってもしゃあない。いつも通りやる。』(宮本)と王者の貫禄すら漂わせていたガンバ大阪。
赤き炎の熱さが王者を焼き尽くすのか。
それとも青き氷のような残酷さで、浦和レッズの初優勝を奪い去るのか。
スタジアムに駆けつけた赤と青の62,241人が暴発寸前の熱狂で応援を続ける中、試合ははじまった。
『最初の5分』『前半終了時』
この試合の1つのポイントとなるのはこの時間帯だった。
ガンバ大阪はこの試合、3点差での勝利が絶対条件だった。浦和レッズの直近の負け試合を見ると、磐田戦の開始10分での2失点がある。ガンバ大阪が突きたいのはまさにそこだった。しかし、1点でも浦和に奪われれば、4得点しないといけない。試合開始早々から前懸かりでいきたいガンバ大阪の葛藤がはじき出した結論は、『まずはしっかりと守備をして試合に入る。』(西野監督)という方針だった。
試合が始まり、試合の主導権を即座に掴んだのは浦和レッズだった。前節のFC東京戦ではアウエーということもあり、慎重に試合に入ったのとは対照的に、この試合は開始早々ワシントンのヘディングシュートがあったりと、前半開始の5分は浦和が奪った。最初の5分で1点をとらないといけないという世間の声に反した西野采配であったが、裏をかえせば、守備をしっかりと固めたからこそこの5分をしのいで先制点に繋がったとも考える事ができる。一方、浦和としては最近の中で最も嫌な思い出のある時間帯を攻めて消化できた事は、無得点だったとはいえ、上場のスタートだったと言える。
しかし、前半も10分が近づくにつれて守備で一定のリズムを持ち始めたガンバ大阪が攻勢に転じる。3点を奪う必要があるので、前懸かりの展開になる。そして攻め続けた21分、マグノアウベスがするりとゴール前に走りこんでの技ありのゴール。ガンバ大阪からしてみると、あと2点を決めれば優勝となる大きな先制点となった。
しかし、『一発殴られて目が覚めた』(ギド・ブッフバルト監督)という浦和レッズはすぐさま反撃に転じる。先制点を取ったことで、早めにもう1点を取りにいくガンバ大阪は、前線とDFの距離が徐々に離れていく。前へ前への意識が強いマグノとDFラインは極力低めにおさえたい宮本の関係がこの試合の絶対条件の前に崩壊する可能性がある事は戦前から予測されていた事だったが、それがまさに現実となった。浦和のエース・ポンテにあっという間に同点に追いつかれる。1-1。
『ポンテの得点が流れを変えた』(鈴木啓太)と言うように、この得点により、この試合をポンテが支配した。
この時点でガンバ大阪が必要とする得点は最低でも4得点。『あの1点が痛かった』(西野監督)というように、浦和レッズにとっては優勝の為のほぼ全ての準備を終えようとしていた瞬間となった。
4得点の重圧がやってきたのか、ガンバ大阪はディフェンスラインが踏ん張りきれない。エンジンのかかった浦和はワシントンを中心としてポンテ、山田暢がバイタルエリアをポジションチェンジしながら突っ込んでいく。そして浦和が得意とする時間帯である前半ロスタイム。ポンテのセンタリングにワシントンがあわせて逆転ゴールをあげる。
この段階でガンバ大阪が必要とする最低得点は5。リーグ最小失点の1試合平均0.8を誇る浦和レッズ相手に絶望的な数字となる。
これで『2点目で勝負はついた』(ギド・ブッフバルト監督)となり、『後半はサッカーを楽しもうと思った』(平川)と浦和レッズは完全に重圧から開放される。
この試合のポイントとなる『前半終了時』の結果は2-1で浦和レッズがリード。実は浦和レッズは前半をリードして終了した場合、今季15勝1分というデータがある。1度も負けていない。
いよいよ追い込まれたガンバ大阪は後半はあと4点あげないといけなくなった。
しかし後半14分、浦和レッズは攻撃の手を緩めることなく三都主のコーナーキックを闘莉王が折り返してワシントンが逆転ゴールをネットに突き刺した。3-1。
この時点でガンバ大阪は6点を挙げる必要があり、事実上の終戦となった。いや、前半終了時で既に優勝争いは終わっていたのかもしれない。この後、遠藤を投入して怒涛の反撃を目指すが1点しか追加できなかった。
優勝を確信した浦和レッズは功労者を次々と投入する。三都主に変わって、左サイドに田中達也を入れ、ネネに変えて怪我の坪井を入れる。そして最大の見せ場は平川に変えて岡野を投入したことだった。本来、勝ちゲームでは使われない岡野。しかし山田暢と共に浦和の苦楽を長年共にしてきた男に、かつて共にプレーをしたこともあるギド・ブッフバルト監督は自身のゲームプラン、セオリーを壊してまで投入を指示し、岡野のサッカー人生に応えた。
北はおろか南まで90分間スタンディングオベーションとなった埼玉スタジアムの大観衆。サポーターが求めるものはもう『優勝』の瞬間だけとなった。監督、選手、関係者、サポーターがやれる事は全てやった。あとはその時が来るのを待つだけだ。
そして待ち焦がれた92分。
終盤のガンバ大阪の攻撃はすさまじかった。浦和レッズがボールを触れない時間帯が増えた。さすが昨年の王者。私達が誇る浦和レッズの守備力の全てのポテンシャルを引き出せる攻撃力はやはりガンバ大阪だと思った。このチームと共にアジアに出たいと思った。日本最強の日本が世界に誇れる攻撃力だと再認識した。
そして、このガンバ大阪の偉大でものすごい猛攻撃を耐え切ったボールがサイドラインを超えたとき、国際審判であり、W杯でも笛を吹いた上川主審がピッチの上で立ち止まる。
一瞬、空気が止まる。
そして全ての人の頭の奥底まで響き渡るような笛の音が埼玉スタジアムに響き渡り、上川主審の両腕が天高く掲げられ、浦和レッズの優勝を伝える。
その瞬間、62,241人を動員した埼玉スタジアムに大歓声があがり、同時に多くの人々の顔に涙が流れ落ちた。両手を挙げて飛び跳ねて喜ぶ者、じっと立ち尽くして涙を流して喜ぶ者、旗を振って喜びを表す者、抱きあって泣いている者、60000個以上の喜びが試合終了後のピッチを駆け抜けた。14年目にしてはじめて決めた喜びのゴール。全員でせーので蹴りだしたボールが遂にゴールに収まった。
昨年の王者をガチンコで真っ向から勝負して倒しての優勝。
チャンピオンに防衛をさせず、今、ここに新チャンピオンが誕生した。
2006 J.LEAGUE DIVISION1
CHAMPION
URAWA RED DIAMONDS
浦和レッドダイヤモンズ
共に戦い、共に頂点を目指した2006年の戦いは終わった。
ずっと手を繋ぎ続けてきた私達が栄冠を手にした。
合言葉は『ALL COME TOGETHER』だった。
おめでとう浦和レッズ。
そして、ありがとう浦和レッズ。
そして来年。
アジアを制する長い旅に出よう。
WE ARE REDS!
最後に、今シーズンは初優勝に近づくにつれ、浦和レッズBlogとなっていきました。多くのチームの活躍を書くことができなかったのは心残りではありましたが、ご理解いただけますと幸いです。