絵描きノ卵






    デコメ日記


         デコメ日記もやってます風船


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「ルミネセンスの根」

P15



今年もたくさんの人と出逢い、繋がりができました。見えない糸がいくつも張り巡らされて、それは本当にたくさんの人と繋がっていて、全ては大きな木のようなところに行き着くようなそんなことを感じる日々です。



色んな人のことを知りたいと思うけれど

人がたくさんいる場所がとても苦手で

そういう場所に行くとどっと疲れてしまいます。

ここ半年くらいイヤホンを持たない生活をしていているのだけど(すぐ失くしたり間違えて洗濯しちゃう)あれはあった方がいいなぁと思うこの頃です。買います。好きな音楽を自分の中だけで聴くこと、ある種のバリア・結界張れてんじゃないかな。



場所や人を選んで疲れる疲れないってアンテナ張ってるんでしょうね。繋がれない人もいるってこと、無理に繋がるなってこと。めんどくさい人、自分。

どこにでも飛び込んでいける人、羨ましい。

ピカピカの光源にはなれないけれど

ほんのり光を灯す、導く人になりたいな。

日記の人物





「指先のプネウマ」

S0



久しぶりの投稿になってしまいました。

それなりに充実した日々を送っていました。た。


過去形です。

寒くなってきてやさぐれ気味。

それでも例年に比べたら良くなっています。


さて、今年もあと1ヶ月半ほどになりました。

振り返りたくなる時、文字に残したくなります。

最近はブログでなくて日記帳に手書きで文章をたくさん書いていました。日記帳かブログかというのは気まぐれなので、久しぶりにブログに気が向きました。


日記といえば、亡きじいちゃんの本棚から昭和14年と昭和16年の日記を発見しました。内容からじいちゃんの書いたものではないようです。

身近な人物、親戚や兄弟のような文面でした。

この時代の人は日記をつけることが日常だったのでしょうか。その日の天気、行った場所あったこと心情などが綴られていました。まだ日本で戦争が始まっていない、始まる前夜というような時代背景で内容は意外と穏やかなもの。


日記を書いていると「ここは人に見られては困る!」という文章が結構あるのだけど他人の日記を見て「これは恥ずかしい文章」だっていうのは大抵わからないし、本人や身近な人じゃないので掴めない文脈ばかり。意外と見られても恥ずかしくないのかもしれないと他人の日記を見て思ったのでした。



何十年、何百年後

私の日記が残っていたとして

私の人生に興味を抱いて読む人がいるのだろうか。

いたら面白いけど、そのころには生きていないのでどうでもいいか。



文字や絵にすると、自分のことが整理できる。

場合によっては話すことでもそうだと思う。

なので、後世に残すと言うよりは

起きたこと意思を整理する媒体。



私自身と興味を持つ人にはそこに魂が宿されるもの。


ということで、じいちゃんの本棚から発見した日記は私によって再び魂が呼び起こされるのかしら。

長い時間をかけて気まぐれに読み進めていきます。




好きな画家のひとり



「dialog:31」2023年

dialogシリーズの説明はいずれ


描いている油絵に方解末(日本画で使う絵具)を混ぜてみたくなってマットな質感に。
じゃりじゃりした描き心地が日本画を描いているようで落ち着く。
随分と日本画を描いている時間の方が長かったので描く姿勢、絵は床に置いて正座をして描いているほうが落ち着く。





そういえば、私の敬愛する画家の香月泰男さんの作品も油絵ではあるがツヤのないマットな質感。

もしかして!と思い、調べてみたらやはり下地に方解末を使われていたようだ。私の持っている画集には表記がなかったので気づかなかったけれど、ネットに載っている最近の表記にはしっかりと。

同じ画材を選んだことが
なんだか嬉しくなったのだった。

この画家を好きであることは
大抵、渋い暗いと言われる。

私の好みが全部が全部、渋くて暗い絵なのではない。渋い、華やか、暗い、明るい こう言った区分で絵を見ているわけではないから一概にこういう絵が好きというのはない。作者の魂、霊性そう言ったものが絵にはダイレクトに反映されると思うから、そういうのを観る人でありたい。


私はこの画家の魂に心底惹かれている。
私とは生きた時代が異なる。
故に価値観が異なる。その壮絶な人生を私は体感することはできない。大した想像もできない。

しかし、私はこの画家の絵や言葉に共鳴をした。
時代を越えて語り継がれる。
全く知らない人々のもとへ。
なんて素晴らしいことだろう。





額縁屋のおじちゃん


いつもお世話になっていた額縁屋のおじちゃんがこの世を去った。


とても急だった

病院通いで体が良くないことは前から知っていたけれど、そんなに悪かったなんて気づきもしなかった。最後に会った時、元気そうに話していたし。



おじちゃんとの出会いは2021年の秋ごろ

おじちゃんの額縁屋は私の実家のすぐ近くにあって、昔からある額縁の問屋さんだった。


問屋さんなので表立って営業しているわけではなく、中に人がいるかいないかわからないくらいぼろぼろの建物で小さい頃から存在は知っていたけれど見向きもしなかったお店だった。



2020年の冬に実家の方に戻り生活するようになって、展示も増えて額縁の悩みを抱えていた私は思い切っておじちゃんのところに電話をしてみた。昔は気になってもなかなか一歩が踏み出せない性格だったのが10代後半くらいから行動力の塊になった。


電話口、ものすごく明るくて気さくで

その初めの電話のおじちゃんの声だけで

この人なら大丈夫だ!って思って、すぐに直接お店に行った。



話し好きで冗談で人を和ませるのが上手くて世話焼きで仕事が早くて奥さん想いな人。絵に描いたようないい人。私が知っている側面。悲しい過去の話も聞いた。楽しい思い出も聞いた。


何度もごはんに連れて行ってもらったり、お菓子をもらったり、おまけの手作り品をもらったりした。

女好きを公言していたけれど奥さんの見張り付きだったので、安心して接することができた(笑)



「俺は男はきらいだ!」なんて言ってたけど、なんだかんだ誰にでも優しい。


昼前になると日本語学校に通うネパール人の若い子たちがお店の前を通る。おじちゃんは母国を離れて頑張っているその子たちへ少しでも励みになれば、とネパール語の挨拶を勉強して作業場に貼っていた。


内容は

「こんにちは」「お腹空いてる?」

「愛しています」など(笑)


お店の前を通りがかる人みんなに話しかける勢いでおしゃべり好き。



おじちゃんは色んな国の「愛しています」を知っていた。女の子を口説く手口らしい。

話の引き出しが多くて、初めにあった時の話題は色んな国の「愛しています」だったっけな。




出会ってから2年も経っていなかったけれど、私もおじちゃんも「そんな最近のことだったか?」なんて話すくらい仲良くしてくれた。




おじちゃん、ありがとう。

出会えて本当によかったです。

おじちゃんみたいな人情深くて世話好きな人に私はなりたいです。




「3度目のまばたき」2022年



会いたい人に会いに行こう

好きな人に好きと言おう

感謝は何度でも伝えよう



私が明日死んでも、

あなたが明日死んでも悔いのないように


なんてことは難しいかもしれないけれど

それくらいのつもりで。

虚無と浪漫




「とみて星」2023年



とみてぼし とは 虚宿 の和名

宿曜二十八宿のひとつ

宿曜は星座・暦・占星術などの分野で使われている。



占星術に興味があって、

最近、宿曜占星術というのを知って自分のを調べてみたら「虚宿」という星だった



「虚」という字はとても私らしいと思った

理由はわからないけれど

昔からふとした時に虚しくなって閉じこもりたくなる


ずっとそれがよくないことだと思っていたけれど

今はそうでもない


夢を見るからこそ叶えられない現実に虚しくなる

でも手の届かないものにこそロマンがあると思うからそれで構わない



ロマンチストな自分は嫌いじゃない

だから虚無主義な自分が顔を覗くのもたまにはいいものかな


すべてのことに対して意味なんてない

でも私たちは意味づけをするのが好き

意味という快楽と同時に失望を手に入れた私たちだから









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