星のような人
「唯一のたより」だと、そんな風に思える人との衝撃的な出会いがあった。
「唯一のたより」2021年
この絵をその人にあげた。
その人と出会う約半年前に描いた絵だった。
個人的に気に入っていて、画室に飾っていた。
「たより」は頼り・便り二つの意味をかけている。いつもどこか、世界中の誰も皆んな私と切り離されているんじゃないかって思ってた。
あの人は会った瞬間に違った。心の奥底で繋がる感覚だった。時間の感覚もいつもと違った。肉体があることも忘れてしまいそうなくらい。
とにかく、出会ったその日から何か大切なものが甦ってくる感覚を私に与えてくれた。
どんな言葉よりもそこに詰まった私の想いを贈りたかった。あなたが「唯一のたより」なのだと。
たくさんの偶然。偶然にしては本当に出来すぎていた。まるで仕組まれたことのようだった。
この人との出会いを機に私の周りの人や出来事に大きな変化があった。今ではわからない。出会っていなかったとしても、そうだったかもしれない。
その衝撃は一目惚れと言っていいほどだった。
知れば知るほどどうしようもなく惹かれてしまう精神性を持ち合わせていた。
恋心とは違うのが不思議だった。違うとも言い切れない、本当に尋常じゃない思い入れ。
いつも長文の文章を送りつけてしまう。こんなことは滅多になかった。そして長文で返ってくる。
知らないことの方が多いはずなのに他人事に思えない。
私の他にもあの人に対してそう思う人がいるなら、あの人の引力だろう。
けどもし違って、あの人も私に対してそう思っていたらどうだろう。それってロマンチックじゃない?なんて浮かれていた。
と浮かれてたらいろんな感情が湧き上がってきてロマンスどころじゃないのだけども。
どこか現実ではない触れられない存在のように思えて仕方がない。(あ、実際触れることは可能でした)
何億光年も先から私の足元を照らしてくれる私の「唯一のたより」
いつも遠くから想っています。
照らしてくれてありがとう。
お陰で周りの大切なものが見えるようになりました。
転機
なんでまた急にブログを始めようかとおもったのか。
原点回帰というか、昔のことを思い返す機会ができたから。過去の自分の記事見たさに開いてみたら、また書きたくなった。
2022年12月29日に父方の祖父が亡くなった。
"以下、じいちゃんと記す)
私は高校を卒業してから沖縄の芸術大学へ進学した。約6年半、地元を離れた沖縄で暮らした。
その間のじいちゃんとの思い出はすっぽりと抜けているのだけど、それ以外は毎週のように会っていた。沖縄から戻ってからは祖父母宅の部屋を借りて絵を描いていたから毎日のように会っていた。
実家が狭いという理由で絵を描くときは本当によく、居座らせてもらった。
思い出って言っても思い出せることの方が少ないけど、確かにじいちゃんと過ごした日々は山のようにある。忘れてしまうことが惜しくてブログや日記を綴っていたのに、家族との思い出はあんまり綴られていなかった。直接書いていなくても断片的な過去の出来事を思い出すことで芋づる方式に綴られていないその周辺の出来事を思い出すことができた。ありがとう、過去の私!
92年の人生、じいちゃんは一体どんな思いで日々を過ごしてきたのだろう。
郡上で育った幼少期、戦争、伊勢湾台風、仕事、結婚、叔父さんや父ちゃんを育てたこと、親戚との関わり、孫4人ができたこと、何度も生死を彷徨ったこと、あーちゃん(祖母の呼称)が認知症で身の回りのこと忘れていったこと、あーちゃんが施設に行ってひとりで生活がはじまったこと、最晩年全然気を使わない孫(私)との半同居の日々
これが私が聞いたり、一緒にすごして知ってること。まだまだあるよね。
1人の人間の幕が閉じた。
近しい人が亡くなったのは私にとって初めてだった。
会えなくなる人、連絡をしなくて会っていない人はたくさんいる。それが死という別れになると、どうしてこんなに喪失感を招くのだろう。
遠くへ行ったと思えば少しだけ大丈夫なのに。実際、見えない遠い場所へ行ったんだし。
というのがだいぶ客観的に頭にあったのでそれほど悲しいということはなかった。
それはじいちゃん自身がとっくに死を受け入れていたから(死への準備していた)から言えること。
若くして死すること、突然の死、
受け入れ難い死はとんでもなく悲しいことなのだと思い知った。
何が言いたいかって、死に変わりはないのに人間の認識の差でこんなにも感情の差が生まれることが不思議でたまらない。
いかんね、不思議って言葉で終わらせないようにしてるんだけど何とも言い表せないときこうなってしまう。
こんな、事細かに日々のことを綴らない限り誰も個人の本音はわからない。わからないことは透明。透明でも無ではない。そこにしっかり見えない日々は詰まっている。そして、本人にとっては透明じゃないし、透明に見えない誰かもいる。
これは2021年に描いた「透明な日々を抱きしめて」
私には自分以外の人大多数の日々は透明。
でもそのすべてが尊く、愛しく抱きしめてあげたいほど。どんな険しく、過ち、穢れた、罪深きものであってもこの世に生きた証として。穢れない魂などないと思う。学び。何度繰り返してもなかったことにはならない学び。
わかんないけど、そんなふうに受け止めている。
ほんとうに幸せかどうかなんて当人しかわからないね。他の人はただ願うだけ。
私の中にたくさんの言葉が詰まっていた。
ゆっくり時間をかけて出てくる。
こんなにたくさんの言葉を誰かと交わすことは私の小さな目標。今はまだできない。
約10年ぶり
最後に更新したのはいつだろう
多分、高校2・3年くらいなので約10年ぶり
奇跡的にログインできた!
中学〜高校、このブログを更新することが楽しみだった。この10年で一気にSNSが生活のメインになっていった。世界も、私自身も。
このブログを更新していた当時もTwitter、Instagram、mixi、pixivなどやりながら、とにかく何か発信して繋がりを求めていた。
Instagramがこんなに普及していくとはびっくり。
たぶん今はこれが一番、発信の大元になっていると言えるくらい。
「絵描きノ卵」とつけたブログのタイトル、
10年後の今とりあえず私は自分のことを絵描きと名乗っている。ほんとのところそう言えるかどうかは微妙。でもあの頃に思い描いた通り、私は真っ直ぐにただ絵を描いていきたい一心で歩んできた。下手っぴだけど、気持ちだけは負けなかったから続けてこれたし、それなりの力もついた。
満足はしていない。たくさんの違和感とともに、表現することで昇華するけど違和感は次々と湧き出してまた表現して…の繰り返し。きりがない。
でも多分私が生きるということはそういうことでいいのだと思う。満足はしたくない。死ぬまで終わらない。死んでもいいなって思うことたくさんあるけど、まだ終われない。
がんばるんじゃない。生きてるから描いてるだけ。描きたいから生きたいだけ。
それとこの世のすべてとつながるまで。
…なんてね。
誰にも見られてないと思ったらなんでも書き放題!でも、いつか誰かに見てほしい。
ブログ楽しいな。言葉にすることはいいね。
近くの誰かには見られたくないけど、どこか知らない誰かが見てくれていたらいいな。
みさき 27歳 たぶん絵描き
今の私こんなんです。

















