最近思うこと。
日々、小さなことから
自分の中にあった常識を壊して
変化させていく中で
もちろんたくさんの心境の変化がある。
目には見えないものだけど、
確実に、かわってきたたくさんのこと。
恋愛観や人を愛するということ
それもまた大きく変わりつつある。
結婚したらずっとすき同士でいるものだ。
いるべきだ。
心はかわっちゃいけない。
自分だけを見てほしい。
一途に思い続けることが美しく、尊い。
結婚したらずっと一緒にいるべきだ。
そんなことを当たり前に思っていた。
それがいいことだ、正しいんだと
ずっと信じてきた。
もちろん、そうであることは素晴らしい。
だけど、自分の心が感じることを
ありのままに許し、こころが揺れることがあることも
全部仕方のないことで
生きている以上、それはものすごく自然なことだと
そんな風に自分の感情をただただ受け入れるようになったいま、
わたしの思い込んでいた世界は驚くほど簡単に崩れさってきている。
お互いがお互いの幸せのために
共に歩く。
自分のしあわせがまずあって
そのうえで誰かと一緒にいることが
自分にとって、お互いにとって
より豊かでしあわせになる。
わたしの中の誰かとともに生きる。は、
こんな風にカタチを変えてきた。
変わったまではいかない、
いまだって変化の途中にいる。
もしこの先、わたしが本当に
そんな世界を生きることを選ぶなら
例えば
お互いが愛する人であり
一緒にいることにしあわせを感じて
共に人生を歩むことを決めた人がいて
結婚をしたとする。
でも
その先に
一緒にいることが
しあわせではなくなったとき、
離れることを選ぶのだろうか。
それはとても悲しいことのように思えるけど、
お互いが一緒にいきる前提が
一人でいるよりも二人のほうがよりしあわせになる。
その想いが前提なら、
そうじゃなくなったとき
お別れをすることは
とても自然なことだよね。
そうなったら、
それは辛いことなのだろうか。
いけないことではないことはわかってる。
想像してみる。
自分に、相手に他にすきな人ができたとしたら。
その相手の気持ちを自分の気持ちを
大事にして
お互いがしあわせでいることを
優先できるのだろうか。
もし、お別れをするならどんな言葉で
どんな気持ちで、
どんな顔で離れるのだろう。
だけど
想像できたのは、
少しの悲しみと、苦しみの先に
全てを受け入れ
とても穏やかな優しい表情で
お互いに思い合えた時間、奇跡に
感謝している景色だった。
自分を愛する、その先に自分以外の誰かのことも
同じくらい深く愛する。
愛するってそういうことなのかなって。
人の気持ちはいつだって揺れていて
自由であることが当たり前なら
想い合えたその時間
そんな日々が愛する自分の人生の中に確かに存在して
その先の道をまた歩いていくこと。
それは想像以上に美しく尊いものなんじゃないかって。
もちろんただの奇跡ではなく
そんな関係をつくったのは2人がしたこと。
だけど、
大切に想いあえることが
当たり前じゃないと思えたとき、
わたしのみている世界はまた、
なにかが逆転したような気持ちになる。
わかっている。
当たり前とおもっていることが
最高のしあわせなのだと
また教えられたような気になったのだ。
こんな風に
ひとつのふとした想像から
わたしのこころは変わっていく。
でもそれは、よく考えてみたら
高校生のときから
漠然と10年ほど求め続けた
こころのあり方だ。
ずっと前からたどり着きたかったこころの居場所。
置き場所にいまたどり着きつつある。
ずっと前から求めていた優しい世界。
絶対当たり前なんかじゃない、
日々の“普通”を
奇跡だということに
ちゃんと気づいて生きていきたい。
噛み締めて生きていきたい。
わたしの心の世界は
いま、そんなふうになってきている。
そう思えるようになったのではなく
そう感じれるこころのスペースを
つくってあげることが上手くなってきたのだろう。
いろんな常識、勝手に抱え込んだ こうあるべき
という呪い。オリの中に閉じ込めてがんじがらめになって
動くことすらできなくなっていたこころ。
いまはそのオリを自ら外し、
手一杯になった思い込みやこころの荷物を手放して、
やっと動けるようになった。
日々のしあわせを
感じ取れる余白ができたのだ。
でも結局、
変化せざる終えなかったこと。
変化させてもらえたこと
たくさんあったけど、
自分がいきたい場所に歩みを止めることなく
進んできてくれたということなのだろう。
自分が求める場所に
無意識に歩いてくのだろう。
そしてもう
忘れたくない。
こうやって見えてきた愛おしい世界を。
大事に大事に生きていきたい。
もっともっと日々を愛しんで生きていくの。