ポッキーです。

 

つい先日、8年ぶりにCDを買いました。

 

タイトルは「ISSAY gave life to FLOWERS」。

 

Der Zibetというバンドのトリビュート・アルバムです。

 

BOWIEの遺作である「BLACK STAR」を買った時、「もうこの先、CDを買うことはないかもしれない」と思っていたのですが、これだけは買わずにはいられませんでした。

 

このブログが何人の人に読まれているのかはわかりませんが、Der Zibet(デル・ジベット)というバンドのことを知ってる方はおそらくいないでしょう。

 

彼らは1985年にメジャーデビューしたビジュアル系(当時はそんな言葉はなかった)の草分けとも言えるバンドで、解散、再結成を経て、去年まで精力的に活動を続けていました。

 

何故かヒット曲に恵まれることはなかったのですが、後続に与えた影響には計り知れないものがあります。

 

しかし、バンドのフロントマンであるヴォーカルのISSAYが去年の夏、転倒による強打により突然の事故死。

 

バンドは事実上、消滅しました。

 

このアルバムは稀代のヴォーカリストであった詩人ISSAYへ捧げられたものです。

 

 

 

1986年の4月、上京したばかりだった18歳の私は、渋谷にあった「LIVE INN」というライブハウスへおそるおそる足を踏み入れました。

 

高校生の頃にも札幌でロック・コンサートに行ったたことはあったのですが、ライブハウスへ入るのは初めての経験です。

 

そして、私はそこで真のロックスターを観た!

 

強烈な麝香の香りとともに現れたその男は一瞬で会場を支配し、私はただただその姿に魅了されるばかりでした。

 

それからというもの、私は東京はもちろん埼玉や神奈川で行われるDer Zibetのライブには必ず行くようになり、半ば追っかけ状態に。

 

18歳の男の子がバンドの追っかけをしているのは珍しかったのでしょう。当時のマネージャーさんや同じく追っかけをしているお姉さんたちには随分と可愛がられました。

 

自分も何かやらなくては!

 

ISSAYのステージを観るたびに私はその思いを強くしていきました。

 

初めてDer Zibetのライブへ行ってから1年半後、19歳になった私はオナペッツというグループのメンバーとしてステージに立つことになりました。

 

場所は通っていた大学の学園祭のためグランドに設けられた野外ステージ。

 

前日はひどい台風だったので開催が危ぶまれましたが、当日は台風一過の晴天。私たちの出番は午後1時からでした。

 

前日の雨でぬかるんだグランドには観客がほんの数人ばかり。ステージングもひどい代物だったと思いますが、しかし、私はそこで何かの糸口を掴んだような気がしたのです。

 

それから試行錯誤を繰り返しながらオナペッツとしての活動を続け、2年後には学園祭の大トリに。グランドは満席状態となりました。

 

27歳となったある時、「ロッキーホラーショー」というミュージカルに出演していた私は、同じ楽屋だったROLLYさんのマネージャーさんから「今日、ISSAYが公演を観にくる」と告げられ仰天しました。

 

オナペッツの宝ルビーはDer Zibetの追っかけだったということもISSAY本人に伝えてあるとのこと。

 

公演が終わって楽屋に現れたISSAYは「ああ、宝ルビーって君だったのか。今日は来ることができて良かったよ」と言って微笑んでくれました。

 

憧れの人に会うことができた喜びを感じたのはもちろんですが、私はその時、何故か彼に少しだけ恩返しができたような気がして勝手に感極まってしまいました。

 

 

 

ISSAYがいなければ、もしかすると私はステージに立つことはなかったかもしれません。

 

そして形は違えども、私と同じようにISSAYに大きな影響を受けたミュージシャンたちによるトリビュート・アルバムを聴きながら、改めて彼の不在を突きつけられているような不思議な感覚を覚えています。

 

さらば、愛しのロックスター。最高に格好良かったよ。

 

私はこれからも一つ一つのステージを大切にしていこうと思います。

 

それではまたお会いしましょう。

 

Keep on Rockin’ !