ポッキーです。

 

ある日、仕事終わりにリビングでご飯を食べながらNetflixの番組「クィア・アイ」を見ていた時のこと。

 

「クィア・アイ」とはファブ5と呼ばれる、美容、インテリア、フード&ワイン、ファッション、カルチャーの達人である5人のゲイが、依頼者の人生をブラッシュアップさせるという番組です。

 

その日の番組内では依頼者の自宅の引越しをファブ5が手伝うという内容が放送されていたのですが、それを見ていた私は、なんとなく「あれ? そう言えば自分はこれまで何回、引越しをしてきたのだろう?」と考えてしまったのです。

 

というわけで、今回は私がこれまでに住んできた家について語ってきたいと思います。

 

その数、なんと十軒!

 

写真が少なくて申し訳ないですが、しばしお付き合いください。

 

それではいってみましょう。

 

まずは一軒目。

 

 

①北海道余市郡古平町(0歳から3歳)

物心ついた時にはこの家に住んでいました。

私は長男ですので父と母との三人暮らしです。

一番古い記憶は、この家の玄関先で母親にジャケットのボタンをつけてもらったことかもしれません。

二階建ての小さな一軒家で不思議なことに間取りまで憶えています。

両親が共働きだった私は、保育園でいつも一人、母親の迎えを待っていました。

二十年ほど前、母と生家を訪れたのですが、廃屋となりながらも建物は不思議と残っていて驚いたものです。

 

 

②北海道余市郡余市町港町(4歳から14歳)

両親の転勤の関係もあって祖父母と同居することに。

おそらくは明治時代に建てられたであろう建物で「ゴールデン・カムイ」に登場するような面構えの民家です。

二世帯住宅だったのですが祖父は同居して間もなく亡くなってしまいました。

祖母がタコ屋を営んでいたため、家の裏手には大きな作業場があり、五右衛門風呂のような窯でいつも祖母がタコを茹でていました。

小学五年生の頃に初めて自分の部屋を与えられたのですが、二階の漁具置き場の一角を改装した部屋だったので、部屋のドアを開けると使われていない漁具が沢山置いてあり夜になると怖かった…。

今ではもう取り壊されていて空き地となっています。

 

 

③北海道余市郡余市町黒川町(14歳から18歳)

中学二年生の頃、余市駅周辺に父母が家を建てました。

父母と私、十歳下の妹、タコ屋を引退した祖母との五人暮らし。

私は高校生になるとこの家から小樽まで通うことになります。

高校卒業後、私が上京し家族は四人に。

その十年後には妹が札幌の短大に進み、その二年後には祖母が亡くなりました。

しばらくは父母が夫婦二人で暮らしていましたが、今から十年ほど前に母が施設に入りそれからは父が一人で暮らすことに。

その父も昨年、札幌の施設に入ることになり、五人で暮らし始めた家には今では誰も住んでいません。

 

 

④東京都八王子市山田駅周辺(18歳から22歳)

初めての一人暮らし。

東京の美大に合格した私は意気揚々と上京してきたのですが、大学は八王子の僻地にあり、自宅周辺は閑散としていました。

それでも自分でコーディネイトしたインテリアに囲まれての生活は楽しかった。

もっとも後半の二年間は、当時、付き合っていた相手の家に入り浸っていて、ほとんどこの部屋には住んでいませんでした。

我ながら親不孝だなあ。

 

 

⑤東京都中野区中野坂上(22歳から28歳)

社会人となり初めて住んだのはなんと四畳一間のアパート。

広告代理店に勤めながら、週末はゲイバーでバイトしていました。

学生時代に始めた芸能活動が軌道に乗り始めたのもこの頃。

武道館や代々木体育館で歓声を浴びた後、帰って来るのはこのとても狭いアパートでした。

 

 

⑥東京都中野区中野坂上(28歳から29歳)

まとまったお金が手に入ったので2LDKにお引越し。

しかし同棲相手と大喧嘩の末、すぐにまた引っ越すことになります。

狭いアパートで一緒に住んでいた時の方がうまくいっていたとは皮肉なものです。

 

 

⑦東京都中野区中野坂上(29歳から33歳)

中野坂上三件目の部屋は1K。

LOVE’Sの前身であるドリームズへは、当初、この部屋から片道1時間以上かけて通っていました。

この後、芸能活動にも見切りをつけて、いよいよ横浜へと引っ越すことになります。

 

 

⑧横浜市南区(33歳から39歳)

東京を離れ横浜市民に。

住み始めた頃はなかなか横浜に馴染めず、週に三回は東京まで足を伸ばしていたように思います。

映画「アメリカン・サイコ」にハマっていた時期で、インテリアも映画の主人公であるパトリック・ベイトマンの部屋のように無機質なもので統一しました。

当時はまだ大岡川沿いに赤線があり、引っ越す直前に行ったアムステルダムの飾り窓地帯のようではないか! と驚愕したものです。

 

 

⑨横浜市中区(39歳から49歳)

みみずくののプーさんを飼い始めたこともあり、リビングと書斎や寝室を分けた部屋へと引っ越すことに。

前の家のインテリアをそのまま持ってきたこともあり、なんともチグハグな印象でしたが、結局、10年も住むことになりました。

インテリアが気に入らないと部屋を綺麗にする気にならないということを実感。

 

 

⑩横浜市中区(49歳から)

現在、住んでいる部屋。

前回と違い、今回は気合を入れてインテリアをコーディネイトしました。

リビングはみみずくのプーさん仕様に作られています。

テレビの前にはカーテンを設置し、私の留守中にプーさんがテレビに止まらないように。

リビングのソファは革張りでプーさんが糞をしても簡単に掃除することができます。

いくつもの止まり木を用意してプーさんが自由に飛び回れるようにしました。

その甲斐あってか寿命12歳から15歳と言われるヨーロッパコノハズクのプーさんは、17歳8ヶ月の間、私と一緒に生活を共にしてくれて、昨年、静かに旅立ちました。

今も私の右肩にはプーさんが止まっているのですが視える人いるかな?

 

 

というわけで、今回はこれまでの住宅遍歴をご紹介しましたが、思ったより部屋そのものの写真が少なくて驚きました。

 

それでも記憶は鮮明に残っています。

 

計九回の引っ越しが多いのか少ないのかは意見が分かれるところかと思いますが、たまにはこれまで住んできた家のこと思い返すとまた新たな発見があるかもしれません。

 

それでまたお会いしましょう。

 

Keep on Moving!