しかし、どんなときでも、どんな環境でも、良識ある人はいます。
先程、ミヤネ屋で紹介されていたので、このブログでも紹介します。
卓 庚鉉(タク・キョンヒョン)

生涯
1920年に慶尚南道で生まれ、京都府の立命館中学校、京都薬学専門学校を卒業する。1943年10月、特別操縦見習士官一期生に合格し、鹿児島県知覧にあった大刀洗陸軍飛行学校分教所に赴任する。1944年10月には陸軍少尉に昇進する。
1945年5月11日、戦闘機の隼にて出撃、戦死した。出撃の前日、富屋食堂の鳥濱トメに自身が朝鮮人ということを明かした上で、アリランを歌ったというエピソードが有名である。卓庚鉉の写真は靖国神社の遊就館に掲けられている。
卓 庚鉉(タク・キョンヒョン)さんは、日本軍として特攻隊となり、戦死しました。
詳細はこちら
→ネイビーブルーに恋をして
鹿児島の知覧特攻平和記念館を見学したことをこのブログでお伝えしたことがあります。
四面の壁に貼られた特攻隊員の顔写真の下に、遺墨や遺書、遺品が展示されているのですが、
そのうちの何人かの写真には、会場の入り口で借りることのできる音声解説によって、
より詳しい説明が聞くことができるようになっていました。
本日画像の光山文博少尉は陸軍航空隊を志願し、第51振武隊、第7次航空総攻撃において
沖縄西海方面に陸軍戦闘機、隼で出撃、特攻戦死した士官です。
この光山少尉の写真に添えられた解説、それは
光山文博が本名卓庚鉉(タク・キョンヒョン)という朝鮮半島出身の搭乗員で、
他にもこの知覧基地からは11人の朝鮮出身者が特攻出撃したというものでした。
大東亜戦争時、朝鮮、台湾の若者が日本人として戦い、ある者は特攻隊員として散華していった。
この史実について語るのは非常に難しいことです。
日本人についてであれば、その自国を思う気持ち、特攻にどんな気持ちで赴いたかは、
終戦後数十年を経た今でも、我々が想像することはそう困難なことではありません。
しかし、当時統治されていた、他民族である人間が
「日本のために自分の命を捧げる」ということを果たしてどのように受け入れたのか。
現代の、しかも統治した側の国の人間には、そのとき彼らが
日本人として戦うことをどう受け止めていたのかということからして、想像もつきません。
少なくとも、その心情をあれこれ忖度することや、憐憫をかけたりすることだけは
不遜なこととして厳に慎まなくてはいけない、というのがわたしの考えです。
光山少尉は立命館中学から京都薬学専門学校(現京都薬科大)を卒業後、志願して
特別操縦見習士官の第一期生試験を受け、難関を突破して飛行士官になりました。
豊田穣著「日本交響楽」の「韓国人特攻に死す 光山文博大尉の突入」によると、
光山少尉が軍人を志したのは「日本社会に色濃くある朝鮮系への偏見と、微妙な差別を、
任従の中に努力して跳ね返すため」であった、という説明がなされています。
少尉任官してすぐにかれは母を病気で亡くします。
そのとき母は、
「文博はもうお国に捧げた身体だから、十分にご奉公するように言ってください」
と言い遺しました。
それを父から聞いた光山少尉は
「じゃあ、お父さんも、僕が戦死しても嘆きませんね」というと、父は
「日本が勝つか負けるか、大変な戦争だよ。お前も十分戦ってくれ」
と答えたと、「光山文博大尉の突入」には記されています。
光山少尉が特攻に志願したのは、この後基地に帰ってすぐのことでした。
この特攻隊員のことは、知覧にあった「特攻の母」鳥浜トメさんの食堂、
富屋食堂を模した記念館で、トメさん自身が「アリランを歌って出撃していった隊員」として
語っているのが録音として残されています。
映画「僕は君のためにこそ死にに行く」で取り上げられていましたから、ご存じの方も多いでしょう。
しかしここで、実に嘆かわしい(としか言いようのない)最近の事件について
お報せしなければなりません。
黒田福美という、最近は親韓を売り物にし、そのアイデンティティで禄を食んでいる女優がいます。
彼女は―もし彼女が本当に日本人なのであれば―少し、いやかなり控えめに言っても
首をかしげざるを得ない、不思議なそして香ばしいエピソードがてんこ盛りの人物なのですが、
ここでは本題ではないので、ご興味をお持ちの方は調べていただければと思います。
一言で言うと、自分の預かり知らない時代の日本の歴史を断罪し、その罪を自分一人が背負い、
何かというと謝罪と賠償を求める韓国人に、その身を呈してでも個人的良心に基づいて
贖罪をしようという、全くもって奇特な、いわゆる「地球市民」な方とでも言えばいいでしょうか。
この地球市民な女優が、ある日、夢を見ました。
夢に現れた飛行服を着たその青年は、こう語ったのだそうです。
「自分は飛行機乗りだった。
残念なのは、朝鮮人なのに日本名で死んだことだ」
その夢枕に立った人物について何かに書いたところ、何と靖国神社の広報(未確認)から
「それは靖国神社の英霊である光山少尉ではないか」という連絡があり、
遺影と対面した黒田福美は、夢枕の青年が光山少尉だと確信したというのですが、・・・・・・
チェ・キホ伽耶大学客員教授の告白