3/12はバナナチップス工場の立ち上げに尽力した
メルローさん(享年40際)の1周忌でした。
メルローさんが急逝したときは、
本当にショックで。実はまだ今でも受け止め切れてないのですが。
信じられないことに、あれから1年経った昨日3/17、
メルローさんのお母さん、メルリンさんがお亡くなりになりました。
私にとってレイテのお母さんです。
力が抜けてしまいました。
昨年のメルローさんのお葬式で、最期の埋葬のとき。
お母さんのメルリンさんは、息子の死が辛すぎて
コンクリートで埋める最期まで、見ることが出来ずに
無言でその場を去っていった。
あの後ろ姿が忘れられません。
あれから1年たって、まさかお母さんまで逝ってしまうとは。
(キリスト教は復活信仰があるので火葬せず土葬です。
棺をお墓に納めてコンクリートで蓋をする。
生身の人間が埋められるのを見たのは、私にとっては衝撃的で。
今でも目に焼き付いています。)
メルリンさん。バナナチップスの女性グループのボスでした。
年末年始にお邪魔した時は、あんなに元気だったのに、信じられない。
先月倒れて入院したと聞いてから、あっという間に逝ってしまいました。
末期の甲状腺がんだったそうです。
レイテに通い始めて4年。
既に大切な人が3人も亡くなりました。しかも若くして。
人の命が有限であることを、思い知らされます。
メルリンさんとの想い出。
レイテに行ったらメルリンさんのお宅に泊めてもらいます。
6人の子供のお母さんで、5世帯が一つ屋根の下に暮らす
大きな大きな家族の肝っ玉母さんって感じ。
シャイだから口数がすくないけど、いつも細やかな面倒をみてくれて優しいお母さん。
帰る時は港まで黙って見送りに来てくれて。
宵越しのご飯は、外国人の私はお腹を壊してはいけないからって、
何も言わずに、新しいご飯を炊いてくれていたり。
朝寝坊の私を「朝ごはん食べなさいよー」っていつも起こしにきてくれて。
年明けのお祭りでは、お母さんの民族衣装フィリピニャーナを貸してくれました。
あっという間に私のサイズに仕立て直してくれて。裁縫上手のお母さん。
家のカーテンも上手に塗ってたよなぁ。
お祭りのストリートダンスを観に連れて行ってもらったのは昨日の事のよう。
あの日は本当に暑かった。
夫が先に日本に帰る時は「必ず又来なさいよ」って何度も言ってくれたそう。
凄く優しいお母さんだったな。
昨年メルローさんがなくなった時、
やる気を失っていたバナナチップスの働き手さんたちに、
喝を入れたあの時のお母さんのリーダーシップは素晴らしかった。
あぁ、思い出を振り返ると尽きない。

私が1月に日本に帰る直前の写真。
これが最後の写真になるとは。
シャイであまり写真に映りたがらないお母さんだったけど
あの時は待ってて待って〜って走ってきてくれて一緒にパシリ!
まだまだ若いのに、残された家族のみんなが本当に気の毒。
神様が決めたことだから、辛いことだけど受け入れないと行けないって
メッセージがきた。
お葬式は3月26日。
日本のように亡くなってすぐ埋葬ではなく、
フィリピンでは家庭の経済力にも寄りますが、
ご遺体が腐らない処置をして1週間や2週間、
毎日毎日お祈りを捧げてから、最後のセレモニーを経て埋葬します。
今日はこのあたりにて。