7年前の今ごろは、まだ東京の某自動車メーカーの広報部員で。
半年ほどかけて自社SNSの立上げプロジェクトを任せてもらって、
ローンチしたのが奇しくも3.11の朝。
会社員として人並みの達成感と喜びを感じていたのも束の間、
立ち上げた公式twitter、facebookが予想もしない使われ方をするとは。
まさに日常が非日常に変わる瞬間。
青山一丁目の交差点にある本社ビルは揺れに揺れて。
慌てて机の下に潜ったら、長い揺れに目の前で椅子が左右に行ったり来たり。
とっさに、高校の時に経験した阪神淡路大震災の記憶がよみがえり
「今度こそ死ぬかも」って本気で思った。
広報部にはテレビがあって、
ライブ中継で津波にさらわれる車の映像が。
みんなで「逃げて!」とテレビに向かって叫んでたのが凄く記憶に残っている。
しばらくすると会社の目の前の246通りは自宅へ歩いて帰る通勤難民で溢れかえり。
私は一晩本社ビルで過ごしたなぁ。
夫は当時栃木勤務だったから絶対帰ってこないだろうと思ってたんだけど、
脅威のママチャリ帰宅を果たしていた(笑)
人間いつ死ぬかわからないなと感じたことがきっかけで、
春から北陸へ単身赴任予定だった夫と一緒に暮らすために、
会社を辞める決心がついた。
当時は結婚のために女性がキャリアを犠牲にするっていうのは考えられない選択だったけど。
1年かかったけど退職して金沢に引っ越しして。
お陰さまで仲良く暮らしております。
しばらくして、広報部の先輩たちが、東北のディーラーさんの支援をはじめて。
まだ混沌としている中だったから、私は怖くて直ぐに参画できなかったんだけど、
いざ参加してみると、私たちでこんなにも人様のお役にたてることがあるのかと教えて頂き。
東北で見た景色は、被災後の神戸と似た瓦礫の山で。益々、人生、何が起こるかわからない。
やりたいことして行きていきたいと思い。
東北での出会いに任せて、色んな支援プロジェクトと立ち上げることになりました。
今ではフィリピンまで。
色んな意味で人生が変わるキッカケとなった3.11。
7年目の今日は、朝から胃が痛くて一日中寝て過ごして。
仕事が出来ないほど痛いわけでもなかったので、
あー、今日1日時間を大切にできなかったなぁ・・と自己嫌悪。
それを夫に話すと、
「ダラダラしてたけど一緒に過ごせたからいいじゃないか」と。
良いこと言うじゃないか、夫!
そうだよなぁ、当たり前の時間に感謝する日。