最近こっちのブログで

こんなことを書いたんだ


批判、非難、ジャッジ

などと向き合った

約一年のことを書いてるので

気になる方は読んでね




バレンタインに作ったケーキ
スーパーで売ってるチョコスプレーをたくさんかけたらアラ可愛い♪


なんと「マズイ!」と言われたぜいw



Facebookでも非難、批判の記事を書いたら
メッセージやコメントいくつか頂いて


やっぱりこのテーマは
必要なんだなと思った







批判されたら誰でも気分が悪い

そんなの当たり前って、思う?



わたしも、批判されたら傷つくと思う

ただ、ここ最近変わってきてね



批判のエネルギーに触れても

なんか、喜びみたいな気持ちばかりが

湧き出てくるんですわ




なんだコレ?って思ってチャネリング したら


「あなたが批判や否定を手放す方向に進んだため
批判に対する反応が変わってきている」


のだそう


なるほどなるほど。よく分かる。


自分の中に否定が減ってきてるので
否定的なエネルギーにはあんまり反応しないし
否定ベースで笑いを取るような人達の話が
まったく面白くない(昔はゲラゲラ笑ってた)




とはいえ愚痴るし旦那によく怒るけど

そもそもそれらをジャッジしていないので

それらはわたしにとって
批判でも否定でもない。


シンプルに率直な気持ちを伝えてるだけ。



批判や否定は

おそらく大半が


拒絶反応



それらの存在を拒絶、否定したうえでの反応なので


いろんな人を傷つける



でも、自分の中に否定のエネルギーが減ってくると


もっと端的にいうと


否定のつまらなさに目覚めてしまうと


面白くもなんともないそれに
対して興味を抱かなくなる


なので、反応もしなくなってくる


それどころか


否定のつまらなさに目覚めてしまうと


否定されたとき

そのつまらなさを感じることが、なんか嬉しい





↑まさに。

否定に反応するのは
自分の中の否定のみ。



ただ、それは「本当のこと」というより

「自分の中の本心」を突かれた

と言った方がわかりやすい気がする
(わたし的にね!)





で。



どうすればあなたの中の
「否定のエネルギー」が小さくなるか?



それは



生まれる前のことを思い出すだけでいい




と、わたしは思う




生まれる前のことは

おそらく生きてる人全員、思い出せるとわたしは思ってる



本当は簡単に思い出せるのに

「思い出そう」なんて発想がそもそもない人が
わんさかいると思ってる



なぜ、生まれる前のことを思い出すと

否定のエネルギーが減るか?

そこが疑問の人も多いと思う。





生まれる前には

否定の波動の影響を

私たちはほとんど受けていないのね


特に生まれることを決意したスピリットは
一時的に天使界に引っ越すことも多いので


否定のない世界を経験済みなんです



そういった「生まれる前」の波動に
もう一度触れることで



私たちの魂は一気に覚醒してしまう


否定のエネルギーはかなり小さくなるよ




自己啓発とか頑張るのがバカらしくなるくらい

簡単に霊的波動も上昇するの






↑なんとなくこんなイメージ








生まれる前のことを思い出すって

すごいお得なことなんだよ


カンタンだしねウインク




わたしはみんなにコレを
経験してほしいって思ってる。



生まれる前のことを思い出すひとがたくさん増えれば
もっと楽しい地球になりそうじゃない?




じゃ、今日はここまで。


また書くよーおねがい







ふー




ここ数日うちのアラブ人が

体調不良のため

卑屈&神経質&子育て大変風吹かしまくりのため


わたしは今夜、
溜まったガスを抜くために

ひとり、近くの珈琲店にて


なつかしのメニューばかりを

たらふく頼んでますてへぺろ




夕飯はチキンのトマト煮を作ってきたよウインク
ちびのごはんもねっ!





↑お風呂上がりはうちわでひとダンス





母は言う。



「私だったら子供を置いて夜に外食なんて
子供が心配で食べ物が喉を通らないわ」


実際に、こう言われたことがある




へぇー。と、思った。





わたしは基本的には
この子と常に一緒にいたい派なんだけど


仕事のときはシッターか旦那か託児所に預けるし


たまには今日みたいに

ガス抜きがてら外食したりする




夫は笑顔で送り出してくれたりしない


今日はねーこんな感じ。



「夕飯作っておくから夜ひとりでカフェにいっていいかな。すこし1人になって休みたい。」

そう言うと


少しムッとしたような
「こいつに何言ったって仕方ない」と諦めたような
いじけたような顔をして

「好きにしたら」といった感じ。




で、わたしは好きにしました。




ズルいよねって
母から時々言われる


何がズルいのかわからないけど


きっと母は、
こうやって夜抜け出したことがなかったのだろう



母から見たら
わたしはズルさのかたまりかもしれない



ところで「ズルい」って
褒め言葉だよね?











ズルいって言われると
なんか嬉しくなる






このごはんも
母から見たらズルさのかたまりかもしれない


ナポリタンとメロンソーダとポテトフライって…!

しかもポテトフライにはマヨとケチャップ!!!






犯罪でもないのに
ズルい自分を隠したところで勿体ない




赤ちゃん子育て中のママからの相談もいただくけど
ズルいママは悩んだりしない


もっとズルくなればいいのに

すごいハッピーだよ!






わたしは今回、
旦那がここ数日体調が悪くて
イライラをぶつけてきたりして



えらそーに子育てについて語ってきたりして
(しかも全く同意できない)


そう言う八つ当たりに
結構ムカついてたんだよね



わたし、彼が病気で体調不良でも
彼には自分を立て直す力があると知ってるから
さほど心配しないし過剰なサポートはしない

ただ、食事だけは気をつけて作るけど。




わたしは彼の母親ではないから
いや、たとえ母親だとしても



彼の人生を
過剰にサポートするつもりは
毛頭ない





なんなら


いつも寝てて良いなって思う




そのかわり彼もわたしを
過剰にサポートしなくて良いし




彼には彼の人生を生きてほしい

なんて言うまでもなく絶賛そうしてるだろうが滝汗




誰かにズルいと言われるなら

ずるくていいよ





わたしにはガス抜きする時間が必要で
息子の前でイライラしちゃうくらいなら

息子と離れてナポリタンとメロンソーダ食べるわい





なんともまとまらないひとりごとでした〜ウインク




さて


ごはんも食べ終えたし


少しドライブして帰るとするか!


では、また〜ウインク

もしも私が
タイムマシンを使うことが出来たとしたら


あなたと過ごす最期の朝を

何度も何度も訪れるだろう




何度も何度も練習して

最期のその日が訪れたとき

完璧なものに仕上げるだろう





そんな私を

あなたはきっと全てわかっていて

そしてただ一言

こう言うだろう



 「大丈夫」と。








何が大丈夫なのかと
私はきっとあなたに問いつめるけれど



あなたは少し呆れたような
少し悟ったような口調で




相変わらず
あなたの前では限りなく幼く見られたい
そんな老いた私の目を見て


きっとこう言う







 「終わりがくるのは普通のことだよ。」 





本当はタイムマシンなんて存在しない

そんなこの世界で 






あなたはきっと誰よりも精一杯に生きて

精一杯に生きるあなただからこそ




私はその言葉のあっけなさを

彼の「精一杯」と理解して





あっけらかんとした態度の彼に

ほんの少し安心し


朝の紅茶を入れるでしょう





いつか必ずやって来る
2人で過ごす最後の日


その日がいつになるか分からないけれど



きっとあなたのことだから
いざその日になったとき


驚くほどの冷静さで

意外なほどの呆気なさで

私はそんなあなたに
冷静にツッコミを入れるのだろう




その日はいつか分からないけれど

きっと私たち2人は
ずっと死ぬまでそんな感じなのだろう





#2人で過ごす最後の日
ハロー


昨日のFacebookに投稿した記事が

個別メッセージ多めだったので
こちらにもシェアするねん


「私も悪口言ってしまった後、すごく疲れる」と言う声、多かったな

返信できてなくてごめんね!
返信、できないままかもだけど、読んでるよ!










性格悪いことをいきなり言いますが
昔、批判や悪口ってもっと楽しかったわけです

共通の敵に対してあーだこーだいうのって
変な話、気分がよかったの

共通の敵がいることで
その場が一つになるしね

それが今は批判をどうひっくり返すかの方が楽しい
自分が批判したい人がいて

でも、その人の存在は
自分の中から生まれたエネルギーなんだよね

批判したいということは
その自分のエネルギーを批判したいということ

私たちは
その自分のエネルギーを
「持ってるのが不快で手放したいとき」
あるいは「否定したいとき」に

強烈にそのエネルギーが引き寄せた人物を
批判したくなるわけだけど

批判や否定をすることは
そのエネルギーを進化させるどころか
ますます自分の中に閉じ込めることになるんだよね😉

とくに、徒党を組んで誰かを悪くいうときは
何か目的があるわけです

多くの場合

そいつが「間違っていて」とか
そいつが悪者で

自分たちは「正しい」

そう言いたいとき

私たちは誰かを袋叩きにしたり、
吊し上げをしたり…。

今時吊し上げやら袋叩きって…笑

杏さんと東出さんの不倫もそうだよね
わたしは杏さんが大好きなので
報道を聞いたとき、「はぁ?東出バカヤロ」
っておもったけど

唐田エリカ?調子に乗るな!ケツ触ってんな!
って思ったけど

私の中にも関連するエネルギーがみなぎっているから
強くこの報道に反応するわけです

同じように
誰かを「あいつヤバいよね」と言いたいときって
私も普通にあって

明らかにヤバい奴のことを他の誰かと軽い感じで「ヤバイよねー」と罵ることも

ときにはあるわけだ

そんなとき、そいつが嫌いなら嫌いなほど
否定したまま終わらない方がいい

その批判、否定の奥の
本当に言いたいことは何なのか?

それを見つめることは
それほど難しいことではないはずだ

難しいことではないのに
多くの人が一度定めた方向性を変えようとはしない

「あいつはヤバイやつだ」
「あいつは悪者だ」
「あいつは頭がおかしい」
「あいつは心が病んでる、メンヘラだ」
(そもそもメンヘラとかいう言葉を平気で人に使う人ってメンヘラだよね)

そういった否定や批判の声とともに
誰かの存在を強烈に否定したいとき

私達の本当の心が何ていってるか
知りたい?

本当の心は必ず

さみしいなって

そう言ってるんだよ

それは言い換えると

あーすげー暇だなー

とも言える(物理的に忙しくても精神的に堕落してるわけです)

暇もさみしいも、元を辿れば同じなんです

ここで思考回路ストップしていると

いつまでも
条件付けの愛の世界から抜け出せません

するとね

一生懸命身を削るように働かないと
お金が入ってこなかったり

一生懸命頑張らないと
認めてもらえなかったり

「一生懸命」なステージから、
その先に行けないんだ

否定や批判しても構わない
嫌いや不快は悪ではない

私こそ、時には悪口を言うときたくさんある

でも、悪口って今の私には楽しくないから
あんまり魅力的な遊びではなくて

その先でその批判をひっくり返すのが
一番楽しかったりするわけです

「そうはいっても、その人は寂しいんだなぁ」

わたしもさみしいから、その人を悪くいうんだなぁ

あれ?一緒じゃん!って

そう思ったとき

口先の言葉の奥の
自分の本心と出会うわけです

どんな批判や否定でも
それこそ徒党を組んで行っているそれの

奥の奥にあるものは

なんとかして、どうにかして

自分を幸せにしたいという気持ち

それだけなんだよね

そんでそこにいくには
批判は否定は逆走になるから

否定したいときわたしは

本当は「幸せになりたいけど、ジタバタしてる」

んだと思ってる

なんだかそんなことを思った雨の朝。








マネしてパクってラブ
参加した人の特権だよ!




みっちゃんがカフェタイムの全員分のケーキセットをご馳走してくれたのーラブ

本当にごちそうさまでした!




また会えるよ^ ^
また楽しもうね^ - ^




素敵なご感想、ありがとうーー!!!!!