人生の多くの時間を共有するパートナー。
長~い人生をともに生き、それぞれの人生に深く関わる相手は、まさに「運命の人」と言えるかもしれません。
私自身、人生の半分以上の時間を共にしたパートナー、彼女には運命めいた強い絆を感じています。
でも、出会った瞬間から「運命」を感じていたわけではないし、そんな人を捜していたわけでもありません。
たぶん、「この人は運命の人だろうか?」なんて考えていたら、今ごろは誰も選べずに品定めをしていたかもしれません。
運命の人かどうか?は結果であって、この人が運命の人だったんだな~と後から実感するもので、最初から分かっているのもではない、そんな風に感じます。
最初から決まっているから「運命の人」なんだろうけど、それが最初から分かっていたらかなりつまらない人生だとも思います。
この人が運命の人かどうか分からない、どこかに本当に運命付けられた人がいるかもしれない
と、架空の「運命の人」に捉われて、目の前にいる人との関係を中途半端にしていたら、たぶん一生その「運命の人」には出会えない。
この人が運命の人に違いない、これを逃したらもう出会えない。
というのも、目の前の人を勝手に「運命の人」に仕立て上げ、その人の存在がしっかり見えていない状態。
きっとその思い込みが成就する可能性は低いし、成就しても長続きはしないでしょう。
私の周囲で、結婚して幸せそうにしている人に、その出会いの経緯を聞いてみると、
第一印象は最悪だった
最初に会ったときのことは覚えていない
お互い付き合っている人がいたので、何も感じなかった
好みじゃなかったので眼中になかった
ただ同級生だっただけ
というような、どちらかといえば薄~い印象か、ネガティブなものだったという方の多いこと。
最初から運命を感じました!
この人しかいないと思いました
運命の赤い糸が出会わせてくれました
なんていう話はまず聞いたことがありません。
一期一会
出会う人は、誰もが自分の運命関わる存在です。
それが深くなるも、一瞬出会って二度と出会わないのもある意味自分ではコントロールできない、それこそ運命で決まっているものなのかもしれません。
そうなのだとしたら、運命の人を探すことより、目の前で関わっている人と本気で関わることが何より大切なことなんじゃないかと思うんです。
そして、その出会いがこれからどんな展開になっていくのかを、あらゆる可能性を制限せずに受け入れていくこと。
それこそが人生の楽しみなのかもしれません。
逆に言えば、目の前の人に変な色を付けず、あらゆる可能性の目を開いていさえすれば、運命が自然に目の前にその人を存在させてくれるものなのだろうと思うのです。