いつもこちらのブログを訪ねてくださりありがとうございます。

先日アメリカ在住のFBフレンドの方が、私の故郷愛媛松山の昔の写真をUPしてくださいました。
しかも1955年、私が生まれたちょうど前年の写真です。


これらの写真も含め、沢山の写真を綺麗にして、電子書籍で出版をされるそうで、とても楽しみです!

懐かしい記憶のある写真に、同郷の同い年の友人とコメント欄を占領する勢いで書き込み、やりとりをしてしまいました。

その中に出てきたオート三輪の写真が私のアルバムの中にもありました。


兄と弟と一緒にオート三輪の前で。私が4歳になる前頃の写真です。

エンジンをかけるとバタバタと言う音がしたことを今でも覚えています。音と香りの記憶はなかなか消えないものですね。


こちらもアルバムから、家の前の道路が広がる前にあった緑地で。小さい頃いた愛犬のポニーも一緒です。

その頃は犬も放し飼いだったこと、誰の親という訳ではなく、地域の大人が子供を叱ったり褒めたりしていた様な記憶が…
そしてちょうど高度成長期に入って旅行や観光に出る人がかなり増えてきた頃でもありました。

そんな中でフト思い出した港でのワンシーン、大阪にお嫁に行くピアノの先生を見送りに行った時の"赤いテープの思い出"



出港する船のデッキから見送られる方がテープの端を持ち、桟橋にいる人に巻きのテープを投げる。

投げられたテープを直に受け取れたかどうかは記憶にありませんが、私が持っていたテープは赤だったこと、船の汽笛が鳴り、音楽(おそらく蛍の光)が流れ、私の指でテープの芯がクルクルと回り最後に切れて海に流れて行った時の光景が浮かんできました。

今でも離島への連絡船や長期の船旅などでは、この"別れのテープ“の習慣は残っているようですが、昔は普通にこんな光景が見られたのですね。しかもこれを発案したのは日本人だとか。

今思い出しても素敵な光景ですが、こんなにもハッキリ覚えているのは、ピアノのレッスンそれ自体よりもその先生が好きで、何とか赤いバイエルを終え黄色のバイエルの途中まで行けたのだと思います。

その後、他の先生のもとでピアノは続かず途中挫折になってしまったことと重なり、私の中では懐かしくもちょっとほろ苦い"赤いテープの思い出"

今の時代なら、感染防止のため紙テープの使用は禁止します、となるのでしょうか、何とも風情のないことですね😅