教会からのクリスマスカード

闇は光に勝たなかった。

この言葉が胸に響きます。

 

私は幼いころから暗いのが嫌いで夜が怖かった。

その感覚は大人になると薄れていましたが、5年前の闘病の時によみがえりました。

消灯時間は早く、真っ暗の長い夜。5つの管に繋がれて体力的にも寝返りもできない身体の私は一睡もできない。辛い身体、静まり返った部屋、診療機械の音や他の病人の苦しい声、緊急患者の手当の気配。

日中も、今日一日生きれるかという状態で、死んでしまったら闇の世界なのかと考えていました。日に何回か定期的にパニックが起こり、起こりそうになってくると「パニックになる、パニックになる」と面会の夫の手を握っていました。もしかするとこのパニックは闇への恐れもあったのかもしれません。

 

幸い救われて退院し日常生活を送っています。

医療従事者の方々と家族の献身に救っていただきました。そして、なんとしても家族と一緒にあの家で又暮らしたいという希望が自分を前向きにしました。

 

今、肺の調子がよくありません。

強い副作用のある治療は避けて、弱い抗生剤の長期投与を始めたのですが、実はどんどん悪化している気がします。菌自体を殺す治療をしていないので仕方ないのでしょうが、思っていたよりも早く進行しているかもしれません。

血痰が出て驚いた先月。それが稀ではなくなって、血を見ない日は稀になってしまっていますし、体が弱っている感覚があります。1月中旬の検診で次を決めますが、副作用が強くとも辛い治療を選択せざる負えない可能性が高いかも。そうしたら肺の持病だけでなく心臓、腎臓、肝臓等も弱い私はどんどん弱っていくに違いないだろう、何年持つだろう…そんなことを考えてしまうと闇が心を襲います。

5年前は耐えました。でもその入院治療と闘病の苦しさ、辛さを一度知ってしまっている今はもっと怖いです。2度とあれは嫌だと怖がりになってしまっています。

 

闇は光に勝たなかった。

このみ言葉にどんなに救われることか。

どんなことがあっても今までいつも神様が救ってくださった。もうだめだと思った時でも助けてくださった。今も自分には何もできない。ただこの言葉を信じて、光を見て、希望を持とう。

教会の礼拝出席は年に数度しかしていない信者の苦しい時の神頼み。都合の良い時だけ神様を想うニセ信者かもしれない。でも信じたい。信じて良いですよね、神様。

 

クリスマスカードにあった牧師先生のメッセージ

 
この闇というのは聖書の解釈では、私の解釈のようにただ辛いこと、怖いことではありません。
本当は、人間の罪のこと。
人間はどうしたって罪を犯すもの。それを悔い改めて光であるイエスキリストを見つめて生きることを言っています。

 

「私には出来ません。イエス様、助けてください。」と祈りながら前進していくなら、神様は、良しとしてくださいます。

神様は真摯に悔い改めた罪は、後ろに追いやって、もはや思い出さないお方です。

それなのに良い行いについては永遠に覚えてくだるお方です。

なんて感謝な事でしょうか。

イエス様、教えてください、助けてくださいって幼子のような素直さで祈ってみればイエス様は必ず祈りに応えてくださいます。

 

2023年のクリスマスに考えたことでした。