上野動物園の後、黒田記念館へ行きました。

 

黒田清輝氏についてまったく知らず、上野に記念館があることも知りませんでした。

上野の観光スポットは公園口を降りるとかたまっていて、東京文化会館、国立西洋美術館、国立科学博物館、東京都美術館、上野動物園。

学生時代の遠足や、個人的にコンサートや展覧会で何度も訪れている場所なのに、黒田記念館の名前すらこの歳まで知らなかったです!

今回動物園に出かけようと思いたち、ついでに周辺にサクッとみれる場所があるかと調べて知ったのでした。


上野動物園正門に向かって右に曲がると東京都美術館がありますが、過ぎると動物園から2分なのに人がめっきり少なくなります。

その先を少し左に曲がり道路を渡ったところにあります。動物園から5分です


日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝は、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。これをうけて昭和3(1928)年に竣工したのが黒田記念館です。

昭和5(1930)年にはこの記念館に現在の東京文化財研究所の前身である美術研究所が設置され、日本・東洋美術に関する調査研究業務が行われてきました。 

平成12(2000)年の新庁舎の竣工により東京文化財研究所の業務が新庁舎に移ったのに伴い、この記念館が昭和初期の美術館建築として貴重なものであることから、創建当初の姿に復することとなりました。

平成13(2001)年9月に開館、平成14(2002)年には国の登録有形文化財となりました。

平成19(2007)組織改編により東京国立博物館に移管されました。
平成24(2012)年4月から耐震補強を中心とした改修工事のため閉館していましたが、平成27(2015)年1月2日にリニューアルオープンしました。

黒田清輝 1866~1924

鹿児島県鹿児島市生まれ。

幼少時に上京、伯父黒田清綱(きよつな)の養嫡子となりました。

17歳で法律の勉学を目的にフランスに留学しましたが、二年後には絵画に転向し、フランス人画家ラファエル・コランに師事。九年間の留学中、明るい外光をとりいれた印象派的な視覚を学びました。

明治26(1893)年に帰国。日本にそれまで知られていなかった外光表現をもたらし、リベラルな精神と思想とともに大きな影響を与えました。

明治29(1896)年には、美術団体白馬会(はくばかい)を結成、またこの年創設された東京美術学校の西洋画科の指導者となりました。

貴族院議員や帝国美術院長をも歴任し美術行政家として活躍しました。

今から160年以上前に見たフランスは17歳の目にどう映ったのでしょう?想像出来ません。
同じ人間の世界とは思えなかったのでは?
外光を取り入れた印象派的な作品は当時の日本人画家の作品には見えません。
↓公式サイトにある「展示中の作品」
また、鉛筆だけを使ったデッサンも展示されていましたが、素晴らしかった。
印象に残ったのは、通信員として日清戦争に従軍した時の取材作品。
留学から帰国した翌年、まだ27歳のころ、何を感じていたのでしょう。

 

常設展示は少ないので10分もあれば観覧出来る記念館ですが、過去の特別展で披露された↓という代表作を見たくなりました。

特別陳列 赤外線の眼で見る《昔語り》 (tobunken.go.jp)


因みにこの記念館は入館無料。

時々公式サイトを見て特別展示が開催されるかチェックしようと思っています。