朝日新聞
2019.7.25

森毅先生との日々

福岡伸一(生物学者)

 昨日、7月24日は森毅先生の命日だった(2010年没)。森先生は京都大学・教養部(当時)の名物数学教師だった。入学すると私はさっそく彼の数学の講義を受講した。

 先生はジーンズによれよれのシャツ姿で、のっそり教室にやってきて、今では考えられないことだが、よっこいしょと教卓に座るとまずタバコを一服ふかした。灰はそのまま床に。「さて、今日はなんの話しよかな、君ら、なんかおもろいことあった?」。そんな感じで講義とも雑談ともつかない会話が始まる。出席してもしなくても単位がもらえることがわかると受講者はどんどん減っていった。

   ある日、遅刻しそうになり、階段を急いで下りて教室に向かうと、下から森先生が上がってきた。「誰もおらんから、今日はやめにしよかとおもったんやけど、君が来たなら、まあ、一応やろか」。先生は芸能から哲学までなんでも知っていた。数学も、数学史や教育論を語った。入試も各教科の得点を、二乗してから足せばよい、と言っていた(そうすれば平均的な学校秀才ではなく、一芸に秀でた人を合格にできる)。

   大学とは教科を学ぶ場所ではなく、むしろ大学という自由空間に棲息する、奇妙な生き物が発する不思議な振動に感応する磁場だと悟った。文科省の管理が進み、大学の自由度ががんじがらめになる前の、牧歌的な日々の思い出である。


以上、朝日新聞より