2018.4.13
朝日新聞


 高齢者は「65歳」から、という線引きの見直し論が出ている。「長く働かせようとしている」「年金支給を遅らせようとしている」と意見はさまざまだ。高齢者たちはどう生きるか。




「生涯現役」の意欲、活かせ

秋山弘子さん(東大高齢社会総合研究機構特任教授)

 日本の高齢者はどんどん「元気」になっています。

 私たちは、高齢者の生活の変化を検討するための全国規模の追跡調査を約30年間、行ってきました。データを分析したところ、男女ともにおおむね70代半ばまではひとり暮らしができるくらい健康、ということがわかりました。

 身体機能や認知機能も若返っています。東京都健康長寿医療センターの調査によれば、老化に関する指標である通常時の歩行速度を1992年と2002年で比較すると、男女とも11歳若返っていました。

 日本老年学会が昨年、「65歳以上」とされる高齢者の定義を「75歳以上」にすべきだと提言したのも、こうしたデータの裏付けがあったからこそです。提言を受け、定年や公的年金の支給開始の年齢を75歳に引き上げるべきだ、という意見もありますが、私は反対です。高齢者は個人差が大きいからです。70歳でマラソンを完走する人もいれば、自宅の郵便受けまで歩くのがやっとの人もいる。年齢で線引きして定義すること自体、あまり適当ではありません。

 では、どうすればよいのか。定年制度は廃止し、体力や自由になる時間、経済状態などを自分で考慮して、自らの定年や働き方を柔軟に決められるような仕組みにすべきです。そして、より長く働いた人はもらえる年金額が多くなるといったインセンティブをつける。非効率的にみえるかもしれませんが、長期的にみれば最も効率的です。

 柔軟な仕組みにできうるのは、かつては余生だった定年後の考え方が団塊の世代あたりから変わってきたからです。65歳は「セカンドライフの出発点」です。また日本の高齢者は支えられる側よりも支える側にありたい、と願っている人が多い。この意欲を生かさぬ手はありません。

 千葉県柏市で都市再生機構と連携して14年から高齢者のセカンドライフの社会実験をしています。定年後は健康で仕事の能力もあるのに、行くところがなく、家でテレビばかりみている人が多かった。そこで、徒歩や自転車で行ける距離で農業や学童保育といった就労機会をつくりました。働き方もその人の体力や自由な時間にあわせました。

 働けば、身体を動かし、頭も使うほか、人とのつながりもできます。健康寿命を延ばす特効薬といえます。生涯現役促進地域連携事業と名付けられたこの手法には政府の予算がつくようになり、いまは29自治体に広がっています。

 今後も減っていく生産年齢人口を補うための最適解は生涯全員参加型の社会をつくることです。それは、高齢者や女性だけでなく、病気や障害、介護など様々な問題を抱えている人たちが無理なく生涯、働ける柔軟な社会です。
 
(聞き手・日浦統)

    *

 あきやまひろこ 1943年生まれ。ミシガン大教授、東大院教授などを経て2009年より現職。専門は老年学。




70歳まで働く人生、幸せか

森永卓郎さん(経済アナリスト)

 高齢者の定義を変えようという動きの背後には、年金の支給開始年齢を70歳に引き上げようとする政府の方針があると思います。

 2014年公表の厚生労働省の年金財政検証では、将来推計を8パターン出した。そのうち現役世代の手取り収入に対して年金額が50%以上という基準を満たす五つは、65~69歳の男性の労働力率、つまり働く割合を66・7%に設定しています。つまり、3分の2が70歳まで働けば年金水準を維持できるけれど、そうでなければ年金を減らすしかない、という試算なんです。

 安倍政権の成長戦略は、年をとっても働け、ということにつきます。「1億総活躍社会」は、経済成長のための国家総動員体制なんですよ。

 70歳まで働いたほうが成長率が上がるというのは経済学的には正しい。問題は、そういう社会が望ましいのかということです。日本人男性の健康寿命は72・14歳。70歳まで働いて働いて、2年後に介護施設に入る、あるいは無理がたたって数年で死ぬ、というのは、幸福な人生なのか。

 「経済成長こそすべての目標だ」というのは、考え直す時期に来ていると思うんですよ。絶対的貧困はなくさなければいけないけれど、高齢まで働き続けて、必要以上に経済を成長させても、幸せな社会にはなりません。

 これまで通り働くのは65歳までにして、そこから好きなことをするという社会のほうがいいと思います。減ったとはいえ年金があれば、あまりお金にならない仕事でも食べていける。みんな年をとったらアーティストになればいいんですよ。そのほうが楽しいし、社会として健全です。

 年金が3分の2に下がったら、都心に住んで、いままでと同じ暮らしをするのは難しいかもしれません。でも、私が住む埼玉県所沢市のような郊外なら、物価は安いし、家賃も半分以下。郊外に移り住んで、節約して暮らし、好きなことをすればいいんです。

 私は、65歳になる前から、将来やりたいと思うことは全部始めています。歌手も、役者も、カメラマンも、落語家も、おもちゃ屋もやってみたし、博物館もオープンさせました。金にはなりませんけど、すごく楽しい。

 70歳まで経済成長のために働く社会と、年金は下がっても65歳から好きなことをやる社会と、どちらが望ましいのか。本来、選択は国民に委ねられるべきです。しかし安倍政権は国民に選択肢を示さず、高齢者の定義を急に変え、なし崩しで70歳まで働く社会にもっていこうとしている。これはアンフェアです。

 高齢者の基準を決めるには、まずどういう人生が幸福かという根本的な議論をすべきです。政府が勝手に決めていいものではないですよ。
 
(聞き手 編集委員・尾沢智史)

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 もりながたくろう 1957年生まれ。シンクタンク研究員を経て、独協大学教授。「消費税は下げられる!」など著書多数。




現代のご隠居、つらいねぇ

三遊亭円丈さん(落語家)

 年寄りに厳しいご時世のいま考えると夢のような話ですが、古典落語にはよく「ご隠居さん」が出てきます。とても生き生きとしていて、周りからも尊敬されています。

 昔は経験こそが知恵でした。農耕社会は、基本的には同じことの繰り返しです。長く生きていれば知恵があり、つきあえば自分も少しは利口になれる。だから、年寄りを「ご隠居さん」と呼んで敬い、大切にしました。

 しかしスマホやパソコンでネットから、いくらでも「知恵」が得られるいま、年寄りに教わることなんて何もないって皆思っているのでしょう。

 僕もかつては、パソコンを熱心にやったもんです。でも、アプリケーションが新しくなるたび、仕様ががらっと変わり、ついていくだけでへとへとです。無理に変える必要なんてないのに、開発者は「とにかく変わることがいいことだ」とでも思っているのでしょうか。年寄りには、つらい浮世になりました。

 噺家(はなしか)は年をとってもできるからいいじゃないか、ですか? たしかに定年はありません。でも落語は覚えないといけない。これがまた忘れちゃうんですよ。ですから僕はもう台本を堂々と出してやります。それでも「あれ、どこだっけ?」となる。お客さんはわざとだと思って笑ってくれますがね。

 僕も隠居したい。ただ、弟子が11人います。あと4人で全員が真打ちになるけど、まだ7~8年はかかる。師匠の務めとしてそれまでは、台本を目の前に出して、落語をやり続けますよ。

 生き物ってのはね、本来、役割を終えたら死んでいくもの。僕だって、少し前に死んだら「円丈はすごかった」と言ってもらえたかもしれないのに、今だと「ぼけちゃったよね」です。寿命がわかる機械ってないですかね。いつ死ぬかわからねえ、能力も衰える、けど生きなきゃいけない。つらいもんです。平均寿命が延びたって言いますがね、延びたのはほとんど「じじい」の期間なんですよ。

 でもね、最近僕は、新しい宝貝を探せばいいんじゃないかな、って思うんです。伊能忠敬(いのうただたか)なんかは、隠居してから本格的に学問をし、日本全国の地図をつくった。人生二毛作です。美しいもの、夢中になれること、つまり自分の宝貝を人生でどれだけ見つけられるか。誰にでも特技はあるから、一生懸命やればエキスパートになれるかもしれない。年をとらないと気づかないことだってあるはずです。

 年金も少ないし、見つけた宝貝が金になったら、言うことなし。ただね、見つけても覚えてられないと、こりゃあ困る。誰か、頭に埋め込める記憶素子をつくってくれませんかね、年寄り専用の。僕は喜んで実験台になりますよ。
 
(聞き手・山田史比古)

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 さんゆうていえんじょう 1944年生まれ。落語協会常任理事。新作落語の名手として知られ、「落語家の通信簿」などの著書も。


以上、朝日新聞より





安倍政権の唱える「1億総活躍社会」の押しつけがましさにはウンザリさせられます。

「年をとっても働く意欲のある人は働ける」ことと「年をとっても働け」では、まったく意味合いが違ってきます。

世の中には「活躍なんかしたくない」「ほっといてくれ」という人が相当程度いるのです。

森永さんの言うように「選択は国民に委ねられるべきです」。

幸福のあり方は個人個人が自分で決めることであり、国家が決めることではありません(日本国憲法の基本の考え方)。

家でゴロゴロ、1日中テレビを観て過ごすことにとてつもない喜びを見いだす人もいます。

幸せの形に正解はありません。「自分の好きにすればよい」のです。それが「多様性」です。

ほっとけよ。




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