2018.1.11
朝日新聞「私の視点」


修正主義の危険性
歴史教育で「悪意」封じよ

武井彩佳(たけい・あやか)/学習院女子大学(ドイツ現代史)


(一部省略あり)


ホロコースト否定のように史実を意図的に矮小化したり、一側面を誇張したりする行為は歴史修正主義と呼ばれる。特定の民族やマイノリティーへの憎悪をあおることが多く、ヘイトスピーチの一種とみなされている。

日本でも程度の差こそあれ、歴史の矮小化を試みる言説が散見される。だが、「南京事件はなかった」のような単純な史実否定を除けば、何を修正主義とみなすかの線引きは難しい。修正主義者が特定の史料を無視したり拡大解釈したりした時、指摘できるのは専門家だけで、普通の人には判断できないためだ。

修正主義の危険性は、まさにここにある。一般的に確立した歴史理解に対し、あたかも議論に値する別の解釈が存在するかのように思わせることで、同じ土俵にはい上がることが修正主義者の狙いだ。彼らは史実に反証できないため、発言に立証責任を負う意思はない。意図的に「言いっ放し」をし、批判されると「個人的な見解」と言い逃れる。

それでも声高な主張は、人の心に「火のない所に煙は立たぬ」と認識の揺らぎを呼び起こし、人々は修正主義の主張にも一定の真実があるかもしれないと考え始める。結果、有罪立証までは無罪という推定無罪の原則で、修正主義は一つの「見解」の地位を手に入れる。いったん土俵に上がった悪意ある言説は増殖し、社会的な合意を切り崩してゆく。

しかも日本の若い世代は、現代史教育がタブー視される中で育ち、深く学ぶ機会を与えられていない。政治的な意図はなくても、きちんとした歴史解釈に触れる機会が少ないため、むしろまっとうな歴史像を「偏っている」と感じるようになっている。危惧すべきは、日本社会にじわじわと広がる、こうした「体験としての修正主義」だ。修正主義を社会が封じ込めることを怠ってきたがゆえに、「もう一つの歴史解釈」として受け入れる人が増えているのだ。

現在、EU加盟国の約半数がホロコースト否定を法で禁じている。妄言に「自由な言論」などという看板を掲げさせてはならないが、法による規制は言論統制の手段にもなりかねない。修正主義を封じるのは第一に十分な歴史教育であり、悪意ある言説を許さないという一人ひとりの意思であるべきだ。

(了)





まっとうな現代史教育が学校の中で行われていない以上、悪意ある歴史修正主義に毒されないためには、自分で自分を教育するしかありません。

しかしすでに修正主義に毒されている人間にとっては、「まっとうな現代史教育」こそが「左翼」的な「反日」行為であり、許されないことなのでしょう。

「南京事件はなかった」
「従軍慰安婦問題など存在しない」

もはや封じ込めるのが困難なほど、悪意は広がっています。

どうしたらいいのか、途方に暮れます。

取り敢えず、「悪意ある言説は許さない」という私の意思だけは示しておきます。





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