2015年1月26日、憲法学者の奥平康弘さんが85歳で亡くなりました。同じ憲法学者の木村草太さんが奥平康弘さんを偲び、以下のように追悼しています。





憲法見つめた
厳しい楽観論者


奥平康弘先生は、若さを失わない研究者だった。東大名誉教授に「研究者の年代別の生産性」を尋ねたアンケートを見たことがある。世の中では、知的創造力のピークは若いときにあると思われている。しかし奥平先生は、30代から50代まで同じレベルで研究をしてきたと回答した。そして、その回答を引き継ぐように、亡くなる直前まで、最高水準の論稿を発表し続けた。2013年秋にお会いした際にも、新しい歴史研究に取り組んでいるとおっしゃっていた。その論稿が未完に止まることは、誠に残念である。

奥平先生の業績では、『表現の自由Ⅰ~Ⅲ』『なぜ「表現の自由」か』『「表現の自由」を求めて』『知る権利』といった表現の自由に関する作品群が、特に著名である。ある憲法学者が奥平先生を評して、表現の自由の原理論に関する「本邦唯一の専攻者」といったほどだ。また、選挙権、平等権、適正手続など、他の憲法上の権利にかかわる分野でも、巨大な功績を遺した。先生の執筆された教科書『憲法Ⅲ 憲法が保障する権利』の分析は、圧倒的に精密である。さらに、憲法史の研究も多く、『治安維持法小史』『「万世一系」の研究』は、それ自体が「歴史」となる独創的な視点を伴った歴史研究の古典だ。

奥平先生は、優れた憲法理論を社会の実践に活かした、偉大な市民でもあった。平和主義に関わる時事問題についても積極的に発言した。戦争放棄を定める9条の理念を尊重しようという「九条の会」の呼びかけ人の一人でもあり、その活動は日本各地に広がっている。また、『憲法の想像力』など、一般向けの著作も多い。理論的でユーモアに富む文章に、私を含め、貪るようにその作品を読み漁ったという人も多いだろう。

私は、2014年出版の『未完の憲法』で、奥平先生と対談させて頂いた。その際、現在の政治状況を案外、楽観されていたことが印象的だった。ここ数年の憲法状況は、過去に経験したことのない自由と理性の危機、立憲主義の危機と、多くの人には見えたはずである。しかし、終戦時に16歳だった奥平先生には、多少の揺れはあるし、また、ゆっくりではあるけれども、日本は確実に自由で理性的な国に向かって進んでいるという確信があったように思う。

自由や理性や、それに基づく民主主義は、何の努力もしなければ失われるだろう。しかし、今生きる人々がしかるべき努力を続けていけば、世界は、少しずつではあっても、良くなっていく。単なる楽観論は愚かだが、むやみな悲観論はそれと同じように愚かだ。厳しい楽観論こそが重要なのだということを、奥平先生に教わったように思う。

奥平先生は、「憲法」は普遍的な理念の実現を目指しながら、常に完成することはなく、世代を超え受けついでいく巨大なプロジェクトだと論ずる。先生の遺してくれた言葉と研究を、次の世代に受け継いでゆくことが、私たちの責任だと思う。


(朝日新聞2015.2.4)





《今生きる人々がしかるべき努力を続けていけば、世界は、少しずつではあっても、良くなっていく。単なる楽観論は愚かだが、むやみな悲観論はそれと同じように愚かだ。厳しい楽観論こそが重要なのだ》

素晴らしいな。そう、この《厳しい楽観論》こそが、人々に勇気と希望を与えるのだ。

そしてビートルズファンである私は、この《厳しい楽観論》が、実はビートルズの基調音でもあったことに思い到りました。



確かに良くなってきてる(良くなってる)
少しずつ上向いてる(これ以上悪くならない)
すべてが確実に良くなってきてるんだ(良くなってる)
~「ゲッティング・ベター」


誰だって世の中を変えたいと思ってる
だけど破壊活動に頼ろうというなら
悪いが僕は加担する気はない
わからないのかい 良くなってきてるのが
大丈夫 何とかなるから
~「レボリューション」


誰かが助け船を出すのを待ってるのかい
だめだよ人頼みは
君がやるんだ
君が求めている変化は
君の肩にかかっている
~「ヘイ・ジュード」


ビートルズの歌を聴きながら、今一度、奥平康弘さんの教えを胸に刻みたい。


今生きる人々がしかるべき努力を続けていけば、世界は、少しずつではあっても、良くなっていく。


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