角川文庫から片岡義男・訳による『ビートルズ詩集』が出版されたのは、1973年のことでした。
そのあとがきで片岡氏は、ビートルズの詞についてとても素敵な文章を書いています。
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無色透明な訳を心がけたのは、無色透明で時として無味無臭ですらあることが、ビートルズのひとつの資質であるように、すくなくとも訳者は感じているからだ。あれだけのグループであるからには、どの曲にもさぞや独特ないろどりがほどこされ、においが織りこまれているはずだと思ってしまうのだが、意外にそうではない。かたちづくられている世界は、どの曲においてもかなり広くて透明なのだ。聞く人の誰もが、その人の心やエモーションのありようにすなおにしたがいつつ、その透明な空間のどこにでもひょいと身を置ける、そういった不思議な優しさないしは悲しさが、ビートルズの世界には確実にある。その透明さは、手で触れることができるみたいにも思える。
ビートルズの歌がこのようであるからには、意訳は無限に可能である。その曲と自分との出会い、その曲にみつけだした自分、その曲に託したそのときの自分、などというものまでとりこむなら、意訳する人の数だけ、それぞれに面白く価値のある意訳ができることになる。数多くの人たちの頭のなかで残響しているビートルズは、その人なりに意訳されたものであるはずだ。
ビートルズの言葉のつかいようは、現実からふわりと一歩、そして一歩だけ、軽く踏み出したところでおこなわれている。思ったまま、感じたまま、そして、頭のどこかから発して声帯をふるわせ喉の奥からころがりあがり、舌とたわむれ唇とからみつつ出てきたままが、定石に対して無縁で新鮮な距離を保ち、あるときはふと古風なまでに定石を守ることをおこないながら、ひとつの歌になっている。
ビートルズの歌が、うしろから聞こえてくる。
(『ビートルズ詩集(1)』角川文庫/1973)
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「無色透明」で
「不思議な優しさと悲しさ」をもち、
「現実からふわりと一歩」踏み出し、
「定石に対して無縁で」かつ
「古風なまでに定石を守る」。
なんて見事なビートルズ論でしょうか。ビートルズの本質にするどく迫っています。
片岡氏は『ビートルズ詩集(2)』のあとがきにおいて、さらにビートルズの「悲しさ」について述べています。
項を改めて紹介します。
そのあとがきで片岡氏は、ビートルズの詞についてとても素敵な文章を書いています。
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無色透明な訳を心がけたのは、無色透明で時として無味無臭ですらあることが、ビートルズのひとつの資質であるように、すくなくとも訳者は感じているからだ。あれだけのグループであるからには、どの曲にもさぞや独特ないろどりがほどこされ、においが織りこまれているはずだと思ってしまうのだが、意外にそうではない。かたちづくられている世界は、どの曲においてもかなり広くて透明なのだ。聞く人の誰もが、その人の心やエモーションのありようにすなおにしたがいつつ、その透明な空間のどこにでもひょいと身を置ける、そういった不思議な優しさないしは悲しさが、ビートルズの世界には確実にある。その透明さは、手で触れることができるみたいにも思える。
ビートルズの歌がこのようであるからには、意訳は無限に可能である。その曲と自分との出会い、その曲にみつけだした自分、その曲に託したそのときの自分、などというものまでとりこむなら、意訳する人の数だけ、それぞれに面白く価値のある意訳ができることになる。数多くの人たちの頭のなかで残響しているビートルズは、その人なりに意訳されたものであるはずだ。
ビートルズの言葉のつかいようは、現実からふわりと一歩、そして一歩だけ、軽く踏み出したところでおこなわれている。思ったまま、感じたまま、そして、頭のどこかから発して声帯をふるわせ喉の奥からころがりあがり、舌とたわむれ唇とからみつつ出てきたままが、定石に対して無縁で新鮮な距離を保ち、あるときはふと古風なまでに定石を守ることをおこないながら、ひとつの歌になっている。
ビートルズの歌が、うしろから聞こえてくる。
(『ビートルズ詩集(1)』角川文庫/1973)
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「無色透明」で
「不思議な優しさと悲しさ」をもち、
「現実からふわりと一歩」踏み出し、
「定石に対して無縁で」かつ
「古風なまでに定石を守る」。
なんて見事なビートルズ論でしょうか。ビートルズの本質にするどく迫っています。
片岡氏は『ビートルズ詩集(2)』のあとがきにおいて、さらにビートルズの「悲しさ」について述べています。
項を改めて紹介します。