ビートルズのデビュー・シングル“Love Me Do”が発表されたのは、1962年10月5日のことでした。それからかなりの年月が経過しました。

ビートルズのメンバーは言うまでもなく、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人ですが、ビートルズの物語には、主役の4人の他にも実に魅力的な人物が多数存在しています。

その代表的な人物のひとりが、ジョンの親友スチュアート・サトクリフです。

スチュは1940年6月23日にスコットランドで生まれました。

美術教師の母を持ち、天才的な絵の才能に恵まれたスチュは、1956年、リヴァプール・カレッジ・オブ・アートに入学。そこで翌年入学してきたジョン・レノンと知り合い親友になります。

ジョンは自分よりも優秀なスチュの芸術的才能や知識の広さに惚れこみます。それはポールとジョージが、ジョンに与えるスチュの影響の大きさに嫉妬するほどでした。

ジョン「いつも本当のことを言ってくれる人間として、ぼくは彼を頼りにしていた。スチュなら、何がいいか、何が悪いかを、遠慮せずに言ってくれた。ぼくは彼を信じていた」

そんなわけでジョンは、ろくに楽器もできないスチュを自分のバンドに強引に引っ張り込みます。スチュはあまり音楽に興味はありませんでしたが、あのジョンに言われたら断ることはできなかったのでしょう。

バンドはビートルズと名乗るようになり、1960年8月からドイツのハンブルクに巡業に出掛けます。そこでスチュは写真家のアストリッド・キルヒャーと運命的な出会いをし、恋に落ちます。


アストリッドとスチュ


このスチュとアストリッドの恋の物語は、1994年に『BACKBEAT』という映画にもなりました。

アストリッドは1938年5月20日にハンブルクに生まれました。

1960年にボーイフレンドのクラウス・フォアマンに連れられて、初めてビートルズのステージを観て、スチュに一目惚れ。ふたりは出会って3ヶ月後の11月に婚約し、スチュはアストリッドの家に住むようになります。

アストリッドはビートルズの写真を撮るようになり(その素晴らしい写真は今でも見ることができます)、メンバーと交流を深め、ビートルズの髪型やファッションにも大きな影響を与えました。

スチュはその後、音楽よりもアートの道を進むことを決意し(それがもともとスチュが目指していた道でした)、ビートルズを脱退、ハンブルクの美術大学で絵の勉強を始めます。

しかし1961年の暮れに学校で倒れ、原因不明の頭痛に悩まされるようになります。スチュは、頭痛の発作におびえながら絵を描き、休むことをしませんでした。

その後もスチュの病状は改善せず、悪化の一途をたどります。1962年3月になると、一日の大半をベッドで過ごすようになっていました。

そして

1962年4月10日

容態の悪化したスチュは、救急車で病院に運ばれる途中、アストリッドの腕の中で息をひきとりました。

享年21歳という若さでした。

さてビートルズはその時、どうしていたのでしょうか。

偶然にもその日、ビートルズのうちの3人、ジョンとポールとピート・ベスト(リンゴ・スターの前任のドラマー)は、3度めのハンブルク巡業のため、ドイツへ向けて出発していました。4月13日の「スタークラブ」のオープンの日に、ビートルズは出演することになっていたのです。

ジョージは風邪をひいて、1日遅れでブライアン・エプスタインと一緒に後を追うことになっていました。

もちろんスチュの死のことはまだ誰も知りません。

スチュの死の知らせを聞いたクラウス・フォアマンは、アストリッドのもとに駆け付け、彼女に代わってスチュの母親ミリーに電報を打ちます。リヴァプールのサトクリフ家には電話がなかったのです。

翌日の4月11日、クラウスとアストリッドは、スチュの母親を出迎えにハンブルク空港に出かけます。

そこには何とジョンとポールとピートがいました。3人は1日遅れでやってくるジョージを出迎えに来ていたのです。そして偶然にも、ジョージとスチュの母親ミリーとは、同じ便に乗っていました。

事情を知らないジョンとポールは、アストリッドとクラウスを見つけると奇声を上げ、ふざけながら駆け寄ってきました。

「よく俺達がここにいるって分かったね。俺達3人は昨日来ていたんだよ。今日はジョージを迎えに来たんだ。みんなでここにいたらジョージのヤツ、きっと驚くぜ」

ジョンがスチュのいないことに気付きます。

「アストリッド、スチュはどこなんだよ」

アストリッドは泣き出して床に崩れ落ちます。クラウスからスチュの死を聞いたジョンは半狂乱になり、ひきつった笑いがいつまでも止まりません。

ジョージは飛行機の中でミリーから、すでにスチュの死を告げられていました。機内で泣きじゃくっていたジョージの目は、赤く腫れ上がっていました。

すすり泣くミリーの姿を見たジョンは、急に感情のすべてを体に押し込め、ある決意を固めます。

スチュが死んでしまった今、アストリッドを立ち直らせ、守ることができるのは自分だけだと。

アストリッド「私を救ってくれたのはジョンでした。彼はまるでハートがないようなふりをしましたが、彼の言ったひとことは、彼の心から出ていることを知っています」

ジョン「いいか、スチュはもう死んでこの世にはいないんだ。君は決めなくちゃいけない、スチュを追いかけて死ぬか、ここで立ち上がって生きていくのか。君には中間は許されない」

スチュの死後、傷ついたアストリッドを優しくいたわってくれる者はいても、ジョンのように厳しく叱咤してくれた者はひとりもいませんでした。

「アストリッド、誰も君を助けることはできないんだよ。もう自分の力で立ち上がるしかないんだ」

アストリッドは正気を取り戻します。そして悲しみに打ちひしがれているのは自分だけではないことに気付きます。

「分かったわ、ジョン」


4月13日のビートルズのステージは、それは異常なものだったという。

ジョンとポールとジョージは、奇妙な大声を上げ、うるさいほど陽気に振る舞い、アンプやマイクスタンドを蹴り倒して手のつけられない有り様でした。

スチュの痛ましい死を知っている者にしか、彼らの行動の意味は理解できなかったという。


ビートルズがレコード・デビューを果たすのは、それから半年後のことである。



(参考文献)
フィリップ・ノーマン
『シャウト ザ・ビートルズ』
小松成美
『アストリット・Kの存在』



(追記)

アストリッド・キルヒャー(キルヒヘル)は、2020年5月15日、82歳で亡くなりました。

ハンブルク時代のビートルズの女神だった女性。

ビートルズ関係者がどんどんいなくなってしまう。

寂しい…