ねー!あれなに?これは?それは?
近所のおばちゃんの娘さんと孫が帰省してまして、玄関出たらばったり会って「あらあらまあまあどうもどうも」と挨拶程度で引っ込むつもりが…。
「おばちゃん!なんでそんな服着てるの?作ったの?どうやって作ったの?ミシンってなに?チクチクって痛いの?怖いの?おばけ?どこにいるの?夜?悪いことすると出てくるの?」
3歳児の質問責めに答えれば答える程、窮地に陥る罠に引っかかったわ!
久しぶりに純粋無垢なKYにやっつけられてグッタリよ。
コーヒー淹れて一服しましょうとドカッと座り込んでスマホを出してニュースをザッピング。
新型肺炎 SARSより毒性弱い?
新型コロナウイルスは、見つかってから10日余りしかたっておらず、感染力や毒性などはまだよくわかっていない。同じくコロナウイルスによって起きる、重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)と比べると、感染力、毒性は弱いというのが大方の専門家の見方だ。だが、ウイルスは変異することで特性を変えて感染力や毒性を増すことがあることから、今後の推移に注意が必要だ。
これはあからさまだが、お気づきですか?
いつのまにか報道は「疑問形にすることで取材能力のなさや見識のなさをぼかすようになった」と感じています。
弱いのか?←なにこの記事、つか記者、いや…愚者。
馬鹿でしょうか。弱いか強いかを取材して【こうですよ】と書くのが報道の役割です。
わからないなら「未知数」と書くのが正しいでしょう。
それを「弱いのか?」って。
これってね。印象としてインフルより弱いと受け取る人が大半です。
しかし、現状は【わからない】のです。
報道機関は【権力監視だ】などと威張り散らし【印象】をコロナウィルスのごとくまき散らしています。
その際に断定してしまうと詰め寄られると思うのか、それとも断定できるだけの証拠もなければ確信も覚悟もないのかわかりませんが、よく使う手があります。
「桜を見る会では〇〇だった。説明が不十分ではないか」
これも疑問形。
説明が不十分とは【どの事柄についてを検証する】報道の役割です。
漠然となんとなく、世間をあおるように「〇〇ではないか?」と言うわけです。
受け取り手もそれが疑問形であるゆえに、結論を出さねばと思うのです。
日本人は「正しい=正誤」と「正しい=善悪」と二通りの判断基準を持っていますよね。
その際に、あたかも「不十分ではないか?」などと悪印象を持つような文言で質問されれば、多くの人は【正誤よりも善悪】でジャッジしてしまう。
正誤とは「事象を疑い突き詰めることで、正しさを問う」のですが、善悪となると「自分が良いと思うか悪いと思うか」なので、実のところ【単に印象であり感情の機微】でしかないのですよ。
「こっちの服とあっちの服どっちがいいと思う?」
友人がなんだかんだ言いながら、印象がいい方=好きなもの=良いと思うものを取るだけです。
これを扇動しちゃう報道が権力監視?
なんだかちっとも腑に落ちません。
今夜もニュースでは「〇〇ではないか」がふんだんに使われています。
3歳児は純粋無垢に知らないことを投げかけ自分の身の内にしていきます。
しかし、報道は疑問形にすることで【保身に走っているだけ】です。
報道は3歳児にも劣る卑劣な機関になり果ててしまったのでしょうか。
いいえ、あたしがやっと気が付いただけなんだな。うん。
そんなある日の記憶の欠片。