宮崎県へ行ってきました!
初めて乗るプロペラ機
セスナみたいに揺れるのかなと思ったらそうでもなく。
無事、宮崎ブーゲンビリア空港に到着
ここから更に電車に乗って目的地は、延岡市
東関部屋の冬合宿を行っていたところ。
私も何度も訪れていたけれど、出産から親方の闘病で最後の3年ほどは行けず、そのまま親方が亡くなってコロナ禍で…となり、行けないままになっていました。
なので、今回とても久しぶりに延岡にやって来ました。
駅周辺は変わっていたけど、親方と何度も過ごした地でもあるので、懐かしさがこみあげました。
親方の闘病記を掲載してくださった、夕刊デイリーにもご挨拶へ行きました
そこで、少しお話もさせていただきました。
ずっと続いていた合宿なのに、急に親方が来なくなったと思ったら訃報が届いてそのまま合宿も終了することになり、お世話になった延岡の皆さまにご挨拶もできないままになっていたこと…
親方の意向で闘病中に病名を公開しなかったとはいえ、ちゃんとした説明もなく終わっていたことに、とても心苦しさを感じていました。
そして親方本人が一番気にしているとも思っていました。
今回やっと、親方の気持ちを代弁するような形で、合宿中に沢山のご支援を頂いたことへの感謝をお伝えしてくることが出来ました。
偶然にもお会いできた方々もいて、
「あの時は楽しかったね〜 チャンコ食べたりしてね」と言ってくれて、そしたら一気にその風景というか思い出がよみがえって、懐かしさと共にその喪失感とか色んな思いが溢れてきました。
そして、大きくなった娘を見てとても喜んでくれました
親方はいなくなってしまったけど、代わりに娘を連れて来ることができて本当に良かった
親方が元気だったら、今も毎年娘を連れて延岡に来てたんだろうな…と思うと、それが叶わないことがとても残念に思えるけど😢
可愛い手作りブローチをお土産にいただいて
今回、合宿を主催して実行委員長を努めて下さっていた医師の先生のお宅にお世話になりました。
この先生と親方の出会いはブログでも書いた事があったと思うのですが、まだ親方が曙さんの付人だった頃のことです。
その頃幕下上位にいた親方に、先生が郵送で写真を送ったところ、親方が電話をかけて御礼を伝えたそうです。
その頃スマホなんて無くて、関取でもない親方は携帯も持っていなかった時代です。
もちろんLINEみたいな便利なものもなかったので、部屋の電話からかけたのだと思います。
電話を受けた先生は、なんて律儀な力士だろうと思い、それから親方のことを応援してくれるようになりました。
その後親方は関取になり、先生との親交も続いていきます。
そして、部屋を継ぐ事になった親方がその事を先生に伝えると、親方が部屋を継承する日と先生が延岡で病院を開業する日が同じ日ということが分かり、2人ともその偶然に驚きました。
何事にも熱く行動力のある先生は、延岡で合宿したいという親方のひと言にすぐ動いてくださり、合宿も実現。
当時の写真を見ると親方はまだマゲが付いているので、計画から半年足らずで合宿が実現したということです。
親方と先生がやりたいねと2人で話して実現させた延岡巡業は、親方が闘病中に開催されて、自分が行けなかったことを親方はとても悔しがっていました。
そういう関係でありながらも、親方と先生は仲の良い友人でもあり、親方が心から信頼していた人でもありました。
先生の診療所にて
親方を知っているスタッフさんもたくさんいます
今回私が延岡へ行くにあたり、先生は忙しい中いろんなプランも考えてくれていて、私たち親子は楽しい時間を過ごしました
どんなふうに過ごしたかは…
つづく