先日亡くなった曙さんに、お別れをしてきました。


葬儀はハワイ形式で行われて、たくさんのお花とフラの音楽が流れるなかお別れすることができました。


皆さんがよくご存知の曙さんは、横綱の曙さんだと思いますが、私が初めてお会いしたのはもっと後ですでに相撲界からは離れていました。


横綱時代の話は亡くなった親方からよく聞いていて、親方は入門してすぐから横綱の付人になり、そこからずーっと付いていました。

横綱のおかげて俺は付人のプロになった、と親方は言っていましたが、その頃は今よりもっと厳しかっただろうし、大げさではなく本当に付人のプロだったと思います。


たとえば、横綱はサンドイッチが好きで、しかもそれは手作りじゃないといけなかったらしく、部屋にいるときはもちろん毎日横綱の寝床に作って置いておいて、巡業などに行く時も親方はいつサンドイッチが食べたい!と言われてもいいように、まな板と包丁、たまごを焼くフライパンを常に持ち歩いた、という話は、よく親方から聞かされました。


しかも、夜に横綱が帰ってきてサンドイッチと言った時は、みんなが寝ているから電気をつけないようにと言われて、ほぼ見えない中でテキトーに作って出した!という笑える話も、親方になってから曙さんと笑って話をするほど、付人エピソードはつきませんでした。


そんな付人だった親方のことを、曙さんはいつも、「佐野!」と呼んでいたのですが、親方が部屋の師匠になってからは絶対に、「親方」と呼ぶようになって、そこには曙さんの、相撲と親方に対するリスペクトがすごく感じられて、それを理解していた親方は曙さんに「やめてくださいよ!」と言いながらも、「横綱どんだけ飲んでも絶対俺のことを親方って呼ぶんだよな、そういうところが横綱の尊敬するところだよ」としみじみ言っていました。


私たちの結婚式でとても喜んでくれた曙さんが、二次会のお店を貸し切ってパーティーしてくれたこと。

親方が、曙さんの名前をまた東関部屋に、という思いから曙さんに師範代をお願いしてそれが叶ったこと。


他にもたくさんの思い出があって、そんな中倒れた曙さんのお見舞いに行くと、最近の記憶が曖昧になっていて相撲時代のことを今のように思っていて、親方の顔を見て「佐野!」と呼んだこと。


そしてその親方が亡くなった時、遠くの入院先から葬儀に駆けつけてくれて、ずっと親方の棺の側にいたこと。


2人とももういなくなってしまいました。

思い出までがなくなるわけじゃないけれど、でもそういう気持ちになって本当に悲しくさみしいです。


葬儀で奥さまに会ったら、「あっちでもう佐野くんと会って話してるわ。でも2人ともちょっと早かった」と言って、私は言葉にならなかったのですが、これからはお互い元気に頑張ろうとハグして気持ちを伝えました。


親方はまたあっちで曙さんにサンドイッチ作るのかな。

2人ともおだやかに過ごしていますように。

また会える日まで。


ありがとうございました