いつもありがとうございます。
padparadschas yoga(パパラチャズヨガ)
のMINAKAです。
ヨガをお伝えしていて、また実践してきて経験して段々と、
いや、より確信を持って思えることですが、
ヨガの効果を「痩せたい」とか、
「すごいと思われたい」とか、
様々な目的でいらしては出会い、そして別れも当然あるわけですが、
最初は良いとしてヨガが途中で嫌になる方の多くとして、
「あまりに目的を自分の外に持って行き過ぎる」んだよなあ…という事を感じます。
「目的が過ぎる」と、それは強制的執行で、
自分を何かしらの枠にくくりつけようとする、縛りつけてしまいます。
脂肪などにより、肩や腰が辛い場合はやはり減らした方が良いですし、
脂肪自体が内蔵までも詰まらせているとしたら、
それは食生活や何かしらの行動パターンを変えるか見直していく必要はあります。
しかし、楽しみやワクワクがその「痩せる」行動の先に経過過程としてあるのならば、それは絶対にお勧めではあります。
まず、痩せるとかどうのこうのですが、
「痩せて幸せになる」神話が、本当なのかどうかって…割と人それぞれですよね。
体格や見た目を、その方の醸し出す雰囲気は横に置いといて、
「入れ物…身体」としてそのまんま見た場合に、
その方がその「入れ物…身体」により幸せなのかどうかというのはまた別の問題となります。
例えばその方が無理をしてダイエットし、「理想的に痩せた状態」を保つために摂食障害を引き起こす程にそこに執着したとすれば、
それは果たして幸せなのかというと「?」がついたりもします。
食べる幸せをもしかしたら既に純粋に感じられてない状態かもしれません。
色々事情もあると思いますので、一概にはいえないとしても、
「あなたが痩せてなければ、良いように扱いませんよ。」
なんて言う人は…、お付き合いやめちゃいなさい!!くらい、
…私は言いたいです。
質問です。
あなたが素敵だと思う方を頭の中で数名並べてみた時に、
その方々のどの部分がいったい素敵と感じるのでしょうか。
それが永遠なものではなく変化した時に、その方への素敵さが薄れてしまうとしたら、
それが見かけとか物資的なものであったとしたら、
…それはとても不安定な土台の上に素敵さを感じているということですので、
儚くて弱い魅力になりかねません。
※これを書くと痩せている人への(?)何らかの僻みやっかみだとする人がいますが、視点が全く違います。
私もここ数年は家庭の事情的な事やケガでヨガに取り組めない時間が年単位でありました。
当然消費カロリーの激減で太り始めたり、
また、更年期の年齢も重なり、体重や体脂肪は増えてしまいました。
更年期はそもそも体質によってはげっそりする方もいればぷっくりする人もいます。
これはアーユルヴェーダ的にも体質の違いというのは当然ありまして、
痩せるのが得意な反面、スタミナや体力、筋肉も流れやすい傾向があり、筋肉つけたい人には大変(…主人がまさにそのタイプ)という人もいれば、
太りやすい方は脂肪に限らずむくみや感情なども溜め込んでしまいやすい反面、
勉強や学びがスピードは遅めだけど誰よりも探求熱心で研究家的な粘りがあるなど…それは私、笑。
私は親の体質も受け継いでいるため、やはり太りやすい傾向が出てしまいました。
ですが、健康診断では懸念されていたコレステロール値は大変健全な値で、その他の様々な数値もすこぶる優良でした。
ヨガと、瞑想的に食を選ぶこと(身体の反応や声なき声を聞く)が、
この更年期の過ごし方を教えてくれたとも言えます。
改めて「健康で良かった!」と思うと同時に、
服が合わないなどの多少の見かけの不便さというのは否めませんが、
(やはりヨガ指導者なのでヨガを本質的に見れない方には誤解を受けます)
ケガが回復した今、ようやく私自身の少しハードめな練習に取り組めるようにもなり、
そうなると、数年前のベストな体重から増えた脂肪などを痛感しながらアサナをとることや、
また、こなした後の翌日の変化などはなんだか新鮮というか、学びに則りそのまま変化してゆくのもとっても楽しいです。
そして、その上でお洒落を楽しんだり、
美味しく食べたり、
個人的にはあと少し習い事の為に脂肪を減らしたいとは思っていますが、
それが自分の人生に必要な豊かさや、日常の快適さを更に求められるものならば、
私もその為の減量は、それは積極的に取り入れたいなあと、そう思って生きています。
話がとりとめなくなるのでまとめますが、
ヨガの目的を、
「健康の為」や、
「心の安定のため」や、
「物事に必要以上に振り回されない為」に、
それらを目的として私のクラスに来ていただいたく方のが、
もしくはそれを求めている方の方が、
私のクラスを全力で楽しめると思います。
「痩せる」とか、
「すごいポーズができる」とかは、
二の次ではありますが、
私のヨガはそれらは必ずオマケとして付いてきます。
(付いてくる方のが圧倒的に多いです笑)
そして、ヨガをしているうちにあらゆる事に「気付き」が多くなれば、
画像の本が言っている難しい中身などの部分が、多分自然とわかるようになると思います。
こんなこと言う私は全然名のあるティーチャーではありませんが、
私自身は一般庶民的に今いる場所で生きている限り、
ヨガは日常の生活に根ざしていれば十分だと思ってます。
(ヨガで有名になりたいとか先生と呼ばれたいとか様々な人はいますが、それはそれでそこに合った人が行けば良いと思います。
セラピストを名乗っていても自分自身が全く癒されてなかったり、
または何らかの人並み外れた何かをして集めて人を傷つけている事に全く気付かない指導者さえある。
玉石混淆を見る目を、ご自身の中にも常に持っていただきたいです。)
そして、私はそうじゃない方の担当ともいうべきか…
私は普通にヨガによりあらゆることが楽になったので、
それをお伝えする担当…笑。
人は人それぞれであればよいのです。^_^
何年か思うように自分自身のポーズの上でのヨガアサナは出来ませんでしたが、
それ以外の日常に活きたヨガを深められたと思うと、
ケガや家庭の事情があった期間は、
私にとっては本当に良かった学びであったなあと改めて感動します。
◇置かれた場所で咲く心地良さ◇
本日も読んでいただきありがとうございます。
本日も、皆さまにとって素敵な一日でありますように!
padparadschas yoga
MINAKA