そうなりたいと思う事に対して、
既に、当然そうだと思っている場合は、そうなります。
この説明が、難しくもありますが、
当然そうだと思って、そう行動しているからではないかと思います。
親から「可愛い」と言われて育った子は、
顔立ちが美人でなくても、可愛い雰囲気を持っていますし、
知り合いの男の子は、子供の頃サッカーが得意でしたが、
周りの人から見たら「下手」だと思われていたそうです。
でも、本人だけが何故か「オレは上手い」と思い込んでいたらしく
始めて1年後くらいには、本当にうまい人になっていたそうです。
実は、わたしは数年前までの数年間、人が怖かったのですが、
それには、しかるべき理由がありました。
本来は、人懐っこい方で初対面でも盛り上がる事が出来るタイプだったこともありますが、
ある時、簡単に解決策を見出しました。
そのころ、スーパーのレジのお姉さんですら怖かったのですが、
ある日、お姉さんが「いらっしゃいませ」と私に向かって言った瞬間に、
「この人は、わたしを愛している!」と思ったんです。
(カン違いかどうかは、おいといて)
変だけど、この考えが「降りてきた」んですよ。
そうしたら、全部わかってしまって、
「あ、そっか。みんな私のことを愛しているんだった」
「てことは、神様も私のことが大好きなんだな」
・・・とスルスルスルっと
訳のわからない考えに至ったのですが、
ここから、劇的に対人恐怖が治っていったのです。
それ以前は、ある人から毎日毎日非難され続けていたので、
自分を肯定的に見られなくなり、
誰に合っても「非難される」と思い込んでいたわけです。
ところが、ある日、そのレジのお姉さんによって、
それが「単なる思い込み」に過ぎないことがわかったのですが、なんでかはわからない。
そういう時期だったのかもしれませんが、
一つだけ言えるのは、その時
「みんな当然、私が好き」ということが
もう当たり前の当たり前で、
そうじゃないことなんかあり得ない、というか
考えたこともないくらいに確信できたということです。
しかし、この考えと
「単なるカン違い」との差は何かと言いますと、
それは、相手への「期待」のあるなしではないかと思います。
好きな相手に対して、「この人は私のことを愛している」と決め込んだとき、
当然そう思われている人間として、愛情深く優しく接することによって
事態は決め込んだ通りに、もしかしたら進むのかもしれませんが、
相手に好きになってほしいとか、そういった期待があると
相手も不自然さを察知して、
それは単なる妄想の分野に入るような気がします。