実は、わたしは「運がよくなりたい」とか「運がわるい」と考えたことがないんです。
子供の頃から、占い雑誌を読んできて、
普通に「運が良くなる」とか
「開運」といった記事を読み、みんなそんなもんだと思っていましたが、
ここにきて、そういえば自分自身はそんなこと考えたことないなと気が付きました。
四柱推命や西洋占星術など、暦を扱う占いでは、
その人の運や、世の中の運も、
暦が決まっている以上は、
この世に存在しているものすべて、運は決まっているということですよね。
それを前提にして考えると、
その決まっている事に関して良い悪いと判断したところで仕方がないことです。
そして、生きていれば必ず何か起こります。
要は、その出来事を「どうとらえるかだ」ということで
その人の「幸福度」が決まるのであって、
それは運の良し悪しではないということなのではないでしょうか?
ですから、外側からの影響を物凄く受けやすい人は、
簡単に、幸せにもなり、
簡単に不幸にもなり得ます。
人が「運がいい」「運が悪い」と言うのは、
ある意味、単なる気分の問題かもしれません。
占いで扱う星には色んな種類やそれぞれの性質がありますから、
好き嫌いとか
時流に合っているかどうかということもあるかもしれませんし。
昔は、「凶星」と言われて恐れられていたものも、
時代が変わり、価値観が変わって、
上手に利用すれば、逆に大きなパワーを持つものもあります。
自分のことを良く知っていて、軸を持ち
自分の生かし方を知っていれば、あまり関係のないことなのでしょう。
よく、人が「可哀そうな人」になってしまうのは、
他人からそれを言われた時といいますが
運が悪いと感じるのだって、
他人からそれを指摘されるとか、
他人と比べて、どうも自分は持っているものが少ないようだ、とか
どうも自分は劣っているという、他人との比較からということもあります。
極端な話、
それに気がつかなければ、
もしくは、気がついても気にしなければ、べつにどうということはないのです。
それに良くないことや、ショックな出来事の基準は人によって違います。
お堅い人ほど、予想外の事態に弱いですし、
自由に生きて持ち物が少ない人は、
失うものがない分、予想外の事態に強かったりします。
経験値や得意・不得意も関係あるでしょう。
生きていれば、自分にとって都合の悪いことは起こるもので、
それは運が悪いからではなく、
ぐるぐる廻っているサイクルの中で、そういう時がやってきたというだけのことです。
今朝も、講座で「死神」のカードについて話していましたが、
お終わりの時を「冬」に例えると、
冬はないと困りますね。
寒くて嫌ですが、植物が種になって地中に眠る時。
寒い大地の中で、細胞分裂を繰り返し、地中に根を張る時。
ここから逃げようとしたら、
今後、芽を出すことも、伸びて花を咲かせることもないでしょう。
だから、一見わるいですが、全体から見ると当たり前のことです。
もうひとつ言うと「善行」をしたから運が良くなるというのも
単純に言ってないです。
そういったものは、たくさんある中の「ひとつの世界観」の考え方に過ぎません。
自分が、善い行いをして満足し幸せだと思って過ごしていれば
起こる出来事を肯定的に捉えられて幸せかもしれません。
その積み重ねで、善い人に恵まれ、良い仕事が舞い込み、
「あー、私って運がいいな」と思う事はあるかもしれません。
つまり、善い行いをして「幸せな人」になるかもしれませんが、
その基準でさえ、人それぞれだという事です。
自分の基準を人に当てはめて、
そこに当てはまらない人を
やみくもに不幸にしてしまってはいけませんね。
特に、占いをする上では大切な事です。
これをやったから運が良くなる、悪くなるということは
他人の吹き込みと本人の思い込みが合致した時であって、
それも単なる気分、持続性に乏しい。
運がいいとか悪いということ自体が、
そもそもどうなのでしょう?というお話です。