2011年6月。。。
ソウルの生活を切り上げ、チェジュ行きを決行
私のすごいところは(自分で言うなって感じですが)チェジュ初上陸ってこと
今考えるとかなり突拍子もない行動なんですが、
それでも旅行の延長くらいにしか考えていなかったからこそできたことだったんじゃないかな
ということで、チェジュ大の語学堂に入学🏫
入学とかビザの手続きとか結構大変でした
が、当時チェジュ大の大学院に通ってた日本人の方がかなりお手伝いしてくれました
それに学校の事務の方や先生も日本語上手な方が驚くほどたくさんいました
家は、大学の裏にあるワンルーム🏠
なんと1ヶ月24万ウォンでした。
しかも、ソウルのハスクより広いし、日当たり抜群
家の前には、馬が住んでいました🐎
が。。。
問題が。。。
大学の正門から山道徒歩30分
しかも、バスも街頭もない🚌
ってことで、原付を120万で購入いたしました
スクーターではなく、跨るタイプのものだったんですが、今でも思い出すくらい大好きなバイクでした
語学堂は、2級からスタート
結構ハードな授業で、やっぱり学院とは違いました
クラスは、9割、大学進学希望の10代の中国人
後から知ったんですが、チェジュって中国人VISA不要だそうです!
しかも、意味不明なのがチェジュ👉本土もビザ不要っていう
もはやビザの意味が。。。って感じです
そして、話しは戻り...クラスには、一人カナダ人の男の人がいたのが救いでした
彼、今となってはチェジュでの有名人
ラジオ、テレビなどにでまくってるっぽいです。
確かに、チェジュの方言ペラペラのマッチョなカナダ人って面白いかも
チェジュでは、ほぼ勉強に明け暮れていました
というか、宿題やばかった
そして、週末は図書館に通ってました
しかも、毎日テスト&学期ごとにも進級テストあるし
週末は、仲良くなった日本人の子と飲みに行ったり🍺
お買い物。。。っていっても、お店も特にないし
お出かけといえば、市内のemartか、カフェって感じでした
ただ、愛車で海沿いを走ったり、ちょっとNZを思い出す景色だったのをよく覚えています
時間ができたら、観光名所にも行きました
学校のアクティビティみたいなものにも参加しました
大学が所有してるみかん畑でみかん狩り放題とか🍊
雪の中、最南端のマラドに行ったり🚢
チェジュ生活を満喫していた私
ソウルにいる時よりは大分不便
だけど、ソウルより確実に韓国語を話す量がUP
そして、NZ→ソウルっていう急な変化より私にはチェジュののんびり感があっていたのかも
チェジュの人は本当に親切で優しい
若干、言葉(訛り)の壁はあるものの、2級レベルじゃ、標準語すらわかんないし、問題なかった私
近くの行きつけのスーパーでは、いつもおまけしてもらったり
該当なしの山道歩いてたら、回送中のバスのおじさんが乗せてくれたり🚌
バイクで走って信号で止まってたら、横の車やバスから話しかけられたり🚥
心があったかくなることが多々ありました
が、逆に。。。
市内を男の人とあるいていただけで
次の日、学校中の人が知ってるっていう
狭いにも程があるだろっ!!
っていう問題?点もありました
3ヶ月後山奥から脱出し、市内のワンルームへお引越し
ここのお部屋は狭いけど、元ホテルだったので、バスタブ付き
しかも、お水代も込み込みだったんで、私には天国みたいでした👼
このときはまじで家から出ずにずっとお風呂に浸かっていました🛀
そして、その1ヶ月後には、またまた市内の広~~~~~~いワンルームへ🏠
このワンルームは、本当にだだっ広くて、かなり持て余していました
と、12月までチェジュで過ごし、年末ソウルに引っ越してきました
いろいろあったけど、とっても楽しかったチェジュ生活でした
問題は、チェジュの情報が少なかったこと。
行く前にいろいろ調べたんですが、結局わからない事だらけのまま引っ越したのがちょっとでしたね
結果、楽しかったんですけど
ちょっと昔の情報ですが、チェジュに興味がある方はご連絡くださいください