胞状奇胎のこと(回顧録1) | 30代後半バリキャリの妊娠記録

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34歳で妊娠1回目、胞状奇胎で流産。
35歳で妊娠2回目、妊娠9週で稽留流産。
36歳で妊娠3回目、継続中。→37歳になりました。マタニティな日常を綴ります。

今日は、1年前に患った、胞状奇胎のことを書こうと思います。

確率的には妊婦500人に1人、というちょっと珍しい病気ですが、

誰しもなり得る病気です。

当時は、ネットの記事やブログを検索しまくり、病気のことを学んだり、心の叫びに共感したり。。色々お世話になりましたから、今度は私も誰かのお役に立てればと。

 

妊活を初めて3周期目の2016年3月。待望の妊娠症状が出ました。

初めての妊娠検査薬に臨んだ際には、フライングなどせず、律儀に生理予定日1週間後というきまりとしっかり守って検査スタート。

くっきり陽性!しかも瞬時に反応がでました。

 

妊娠を確信した私は、初診が早すぎても駄目というグーグル先生の教え通り、妊娠5週4日あたりで近くの産婦人科を受診しました。

ところがしかし、見えてもよいはずの胎嚢を確認できませんでした。

先生の反応は、「うーん、これかなぁ」という感じ。

1週間後に再受診を命じられて帰されました。

このあたりから、なんとなく嫌な予感がしていました。

 

2回目の受診。6週4日。

ようやく胎嚢を確認できましたが、形がいびつでよろしくない模様。

先生の表情は曇ったままです。

再受診を命じられて帰宅。次回心拍が確認できないと、厳しいとの見立てでした。

 

3回目の受診。たぶん7週4日頃。

心拍確認できるか否か、判明する運命の日。

でも神様は味方してくれませんでした。

心拍どころか胎芽も見えず、胎嚢の形も一層崩れてきていました。

ここで流産宣告です。

 

1回目の掻把手術は、稽留流産の処置を理由に行いました。

ここまでのところ、エコーでブドウ状の水泡が確認できたり、つわりが重かったり、という胞状奇胎特有の症状は一切ありませんでした。

胞状奇胎(部分胞状奇胎)が分かったのも、流産処置のときの病理検査の結果が出てからのことです。

 

1回目の手術後、2週間後に再度掻把手術を行いました。

取り残しがあると、侵入奇胎、絨毛癌爆弾にも進行しうる恐ろしい病気のため、再度の手術と十分な術後の管理が必要です。

私の場合、流産手術に踏み切ったタイミングが早かったのと、症状も比較的軽かったのが幸いしてか、血中hCG値の推移が非常に順調なのをみて、術後4か月で妊娠許可が下りました。

当時35歳という私の年齢と、妊娠を焦っていた私の気持ちも汲んでくれたのかもしれません。

 

こうしてみると、普通の流産と経過はあまり変わりませんね。通常の流産も2、3回は生理を見送るように指導されることが多いですから。

しかし、当時、2週間おきに通院し、幸せそうな妊婦さんと一緒に待合室で時間を潰すのは苦痛でしかなかったです。

体の回復よりも気持ちの立て直し方に苦戦したように思います。

 

妊娠許可が下りたのが9月。

そこから妊活を再開するも、かすりもせず。2回の掻把手術で子宮もダメージを受けていたのでしょうか。

年末に向けて仕事は忙しくなる一方、連日のタク帰りでストレスも溜まりまくり、妊活には最悪のコンディションですプンプン

そんな折、義実家への年末の帰省の調整。当初は予定になかったのに、義妹(夫の妹)と5月に生まれたばかりの甥が帰省のタイミングを被せてくるというではありませんか!

 

仕事のストレスと、妊活の焦りと。あとは何の問題もなく赤ちゃんを授かった義妹への嫉妬と、胞状奇胎を患ったことの一方的な被害妄想とえー

義妹には悪気はなくとも、そんな状態の私に赤ちゃんを見せびらかされたら、取り乱してしまうかも。。えーん

やさぐれて心がボロ雑巾のようだった私は、

 

まぢで勘弁して!!

 

と思ってしまいました。

当時はきっと、どうかしてたのでしょう。

義妹も赤ちゃんも、何の罪もないのです。それに、夫にとっては血の繋がった可愛い甥っ子です。

なのに、なかなか会えないチャンスを、この手で捻りつぶしてしまいました。

それほど心の余裕がなくなっていたのですショボーン

 

そんな私にようやく心の平穏が戻ったのは、最初の妊娠からちょうど1年後の2017年4月、再度の妊娠がわかったときのことでした。

 

 

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