天国を知る | 自分で考えて生きる

 

 

大きなソフトクリーム

近所にある人気の牧場のソフトクリーム

とても一人では食べ切れない。

 

可愛い目をした牛さんが気になってしまう

以前に読んだ「ホモサピエンス全史」(確かベストセラーにもなったはず)

 

美味しいと思ってたまに食するアイスクリームやグラタンなど

牛の悲惨さの上に成り立っているのかぁと牛乳のできる過程を

詳かに聞くと、人間の分離した自己を保存させることを主目的とした

知力は、何かに犠牲を強いているのだなと感じる。

 

それがいけないことというよりは、必然の帰結でそうならざるを得ないのだなと感じる。

 

子どもの頃、放牧されて夕方になると自宅に帰っていく牛を見て

殺されるために生きているとは思っても見なかった。

人間と共に協力し合いながら、生きている動物を家畜かと思っていたが

もはや道具となっている動物だったんだと。

牛のお産を見た頃があるが、目に涙をいっぱい溜めて痛そうにしている姿は

人間のお産と同じで痛みを伴い辛いこと。

でも、牛は、そのまま子牛とは引き離されて(子どものためにお乳を飲ませるのではなく)

人間が飲むために(生活をするためのお金に変えるため)搾乳が開始される。

 

搾乳されるために、ずっと妊娠状態を人工的に作られ、お乳を搾乳される。

人間に活用され食べられるためだけに飼育される動物

それをしないと生きられない世界自体が天国とはほど遠い

 

小さい頃より、自分はどうしてこうゆう世界にいるんだろうか

この世界は誰が作ったのだろうか

消えない疑問だったが

 

心という概念を学び

概念について学び

外側と内側という語る色々な概念について学び

あれやこれやと興味を持って

色々と実践していく内に、光に気づき、

自分は、無明の状態だったことがわかり

心の中にある平和があることに気づき

 

心の中にある極楽浄土を自分の本性として経験できるように

自分の日常を一つの教室として日々生きることが

私にとって特に興味関心があることであるが

 

仏教で言われる煩悩との悪戦苦闘の毎日だ。

 

私にとって外側の状況とどう折り合いをつけていくかよりも

怒りとの対峙、裁きとの対峙

潜る訓練のために日常がるようなものになっている。

どうしても、関心がそちらに向かっていく。

日常を生きながら、それだけではなく

心の中に信じている信念を取り消していくために生きること

このバランスを崩すとあまり楽しい結果になっていかないので

私はこのバランスを取るように心が得ていくことを

怠らないように努力するようにしている。

 

煩悩に打ち勝った時に、天国に帰れるのだと思う。
現れると言った方がいいだろうか
それ以外しか、そもそもないのだと思うが、それを
経験できないほどに、心の中に色々な想念を抱え持っている。
 
天国は内側にあることは感じられるようになっただけでも
呼吸はしやすくなったが、煩悩が強烈すぎて
私にこれを打破する術があるのだろうか・・・とも
思ってしまうことも正直、しばしば。
 
どんなに表面上キラキラ生活を送っていても
怒りから解放されていない状態は難儀であり苦痛。
 
怒りからの完全解放、私の目標だ。
怒りが決して湧いてこなくなる心境に戻りたい。
怒りとは、ACIMの概念によれば、罪悪の投影と解く。
 
他者も自分も所詮は心のフィギアに過ぎなく
どちらを裁いても同じこと
怒りは、裁きに向かう。愚かなことに向かう
正当な怒りは、物事を改善する力がある。
周りから称賛さえもらえる怒りがある。
 
でも、怒って生きるって、煩悩が自分の主人で
自分よりも、愚かに生きる、悪人に遭遇しては、
その怠惰と不道徳を裁きを通していつまでも不快に思って
成敗して、怒るしない。
 
徳川家康は論語を熱心に学んだ人だったそうだが
彼の遺訓は論語からの引用文が多いがそうだが
その中に以下のような文言があるのだが
 
怒りを敵と思え、勝つことばかり知りて負くるを知らざれば、害その身に至る。
おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
 
怒りは敵だなと思う。
この敵は非常に執拗で、克服できるかなというくらいである。
不快感に対しての忍耐力を養わないと、中々怒りへの対処は難航する。
 
「怒り」は耳元でこんな囁きをしてくるようだ。
 
「こんな事態は決して受け入れらないし、受け入れてはならない。
言語道断。潰してしまえーーー。そうすれば、悪者、邪魔者を一網打尽にして
形勢逆転できる、いや、しなくてはならない」と。
 
以前読んだ仏教系の本の中に

怒りなど、精神的傾向に溺れるのは精神に作用する物質に依存するよりも、タチが悪く
精神的傾向は、自分にとって新しい精神状態となって身について、
自分自身の本質から強制されて、その理由から、いっそう抵抗が難しくなると書かれていたが
 
タバコ、アルコール、麻薬などよりも、タチが悪いという話で
怒りは、正当な理由があるものなので、そうゆう理由がこの世的にあっても
自分で意識的に辞めていく以外、脱出の道はなさそうだ。