親の言うとおりにしなかった経験
ハンドルネーム琉海こと、金城有紀です。
日本女性ってね、勤勉だし、神経も細やか。
細かいところに気も利くし、ほんと、日本女性に生まれておいてよかったなぁって思うんです。
逆に、ちょっと引っ込み思案で、「自分のやりたいことをやる!」ときに、とても勇気が必要だったりします。
これも、慣れのようで、繰り返せば、決断・選択も楽になるんですけどね。
新しいブログ(このブログね)をはじめたのがキッカケで、自己紹介を見直したんです。
これまで書いたことのなかったことも、書きました。
みてみる?(左サイドバーです)
そして、ふと思い出したんです。
はじめて、親の言うとおりにしなかったのは高校生のときだったなぁって。
進路選択のときに、「大学じゃなくても短大くらいは」という両親の意向を振り切って、自分で専門学校を探してきて、「ここに行きたい」と言ったんですね。
他の同じような科目をやっているメジャーな学校よりも、学費が安く、授業数が多かったところを選びました。
それでも親は渋っていて、大原簿記をすすめられました。女性らしい、事務仕事を想定したようです。
でも、私は長く使えるコンピュータの知識が身につけたかったので、「システム開発」を選びました。
おかげで今があるのですが、そのとき、親を納得させた言葉があって、今でも覚えています。
「将来、家庭を持って、子育てしながらでも在宅で仕事ができるようになりたい。インターネットがもっと発達して、パソコンを使えるだけでは、きっと足りないから、開発の知識も欲しい」
結局、両親は折れてくれました。
サボらず、ちゃんと通いましたよ。授業時間数の多い学校だったので、毎日朝から夕方までみっちり3年間、授業に出ました。
このとき、自分で能動的に、将来を選べるという体験をしたのかもしれません。
あなたの人生で、印象に残っている「人生の選択」や「ターニングポイント」って、ありますか?
日本女性ってね、勤勉だし、神経も細やか。
細かいところに気も利くし、ほんと、日本女性に生まれておいてよかったなぁって思うんです。
逆に、ちょっと引っ込み思案で、「自分のやりたいことをやる!」ときに、とても勇気が必要だったりします。
これも、慣れのようで、繰り返せば、決断・選択も楽になるんですけどね。
新しいブログ(このブログね)をはじめたのがキッカケで、自己紹介を見直したんです。
これまで書いたことのなかったことも、書きました。
みてみる?(左サイドバーです)
そして、ふと思い出したんです。
はじめて、親の言うとおりにしなかったのは高校生のときだったなぁって。
進路選択のときに、「大学じゃなくても短大くらいは」という両親の意向を振り切って、自分で専門学校を探してきて、「ここに行きたい」と言ったんですね。
他の同じような科目をやっているメジャーな学校よりも、学費が安く、授業数が多かったところを選びました。
それでも親は渋っていて、大原簿記をすすめられました。女性らしい、事務仕事を想定したようです。
でも、私は長く使えるコンピュータの知識が身につけたかったので、「システム開発」を選びました。
おかげで今があるのですが、そのとき、親を納得させた言葉があって、今でも覚えています。
「将来、家庭を持って、子育てしながらでも在宅で仕事ができるようになりたい。インターネットがもっと発達して、パソコンを使えるだけでは、きっと足りないから、開発の知識も欲しい」
結局、両親は折れてくれました。
サボらず、ちゃんと通いましたよ。授業時間数の多い学校だったので、毎日朝から夕方までみっちり3年間、授業に出ました。
このとき、自分で能動的に、将来を選べるという体験をしたのかもしれません。
あなたの人生で、印象に残っている「人生の選択」や「ターニングポイント」って、ありますか?