オリンピックをみてメダルを獲得していく姿に感動し涙を流しながら、

 

 

 

 

一方で思う事がある。

 


 

 

 

それは、ずっと私が思ってること。

 


 

 

 

一つの事をコツコツ積み重ね、

バキバキに極め

頂点に立つ。

 

 

 

 

 

こういう世界が美しい、

素晴らしいとされると、

生きづらい人がいるやん、て事。

 






子供の頃から
一つのことに夢中になった方がいい
夢があった方がいい
一つのことだけやり続けた方がいい
一つのことだけやらないと極められない
頂点に立つことが素晴らしい





人生の価値がそこにある。





私はこれにずっとずっと
なんだかもやっとしてきた人生だったなと思う。






これは絶対の価値ではないと今ならわかるけれど、
過去にはそうは思えなかったよね。






何か賞を取るわけでもない。
勉強も中学くらいまではそこそこできてたけど、そのくらい。
美大行ったら行ったで、もっと激しく個性的な人がいて、
その中では普通な人。





まあ、何をやっても目立って華々しい結果は出ない。
それは私が努力ができない人
頑張れない人
一つに集中できない人だからだと

どんどん自分を決めつけるようになった。





人ができる努力を私はできない
私はそういう人じゃないから、
そうできないから、
大した人間じゃないんだなと思ってきた。





この人生、
ちょっと個性的くらいで
そこそこで生きる人生なんだなと思ってきた。


 

 

 




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(お散歩中の写真。レースフラワーかな)




オリンピックの結果に感動しながらも、




 

これが人生においてもっとも素晴らしい事だと

誰もが勘違いしたら気の毒だなって複雑な思いでした。

(選手の生き方をって否定するものではないのでそれまた勘違いしないでね!)

 






私はどれかに選べない人生があってもいいと思うよ。
次から次に興味関心が変わってもいいと思うよ。
ずっと続かなくってもいいと思うよ。
小さい頃からなんかなりたいものなくったっていいし、
夢を持ってなくてもいいよ






一個に選べない。
一個に選ばないことが
あなたの才能だから。





一つのことを極めたからこそわかることがあるけれど、
一つのことを極めなかったからこそわかることがあり、
だからこそできることがあるってわかったから。





こんな風に思うことは
それ、勝てない人の遠吠えじゃん
負け犬か!って自分で勝手に負けて
どこかで劣等感を感じてきたけど、






長いことかけてやっと
今はそんな風に思わなくなったよね。


 

 

 

 

私は今、何か私の外側にくっつけてる何かを極めるのではなく
『私を極めたい』と思って生きている。

 



 

私が極まった先に、

実は私はずっと夢を追ってきたのだなとわかったよ。








先日も受講生が、
一つのことをガーって集中したら
熱が覚めて違うことに興味を持ってやり始めちゃう
飽き性で、一つのことを極められないって言ってた。



 

 

それでいいんだよ。




そういう人たちが持ってる能力があるんだから。





その興味には本人しかわからない共通の必ずテーマがある。
全く別ジャンルじゃんって思ってても。






私は今が自分の人生の中で一番納得感があり、
ああ、だからあの時あれを選んだのか!って思うことがたくさんある。





人の人生を見ててもみんなそう。
ちゃんと必要なものを選んでる。





だから、
そのときその時で、自分が選んだものを
それが短期間であろうとなんだろうと、
楽しめばいい。
やってみればいい。






コンプレックスを感じながらも
私はそうやってくるうちに
何か一つのことが極まってないけれど、
私自身が極まって、私のコアにたどり着いた。



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高3の息子がずっと進路に悩んでてね、

お友達はやりたいこと見つかってる子もいて、
それに邁進してる子もいる。





特にない子は、
将来就職に有利だからと大学進学を選ぶ。
(生涯年収が高卒と大卒では違うからという理由で大学進学を選ぶ子が多いそう。。。。。)





本人は
やりたいことが見つからないって。
クラスで最後の最後まで進路が決められなかった。





私は逆に、
簡単に決められない息子は
真面目に考えてんだなーって思った。
だから焦らなくていいし、
今何を選んでも変えていいし、
今決めたことで人生は決まらない。
だからとにかく好きに選びなさいって言ってあった。





彼の父は大学進学の授業料を払うのだから
ビジョンを見せてプレゼンしなさいと言った。
まあ、それも一意見であってもいい。





でも、私は、
そんなビジョンを持ってる子なんてそうそういないよ。

今から決めなくていいって言った。





私と元夫は意見が違うことをよかったと言い合ってる、
いろんな価値観から、自分が何をどう感じ
どう選ぶのかは自由。
どっちが正解でもないし、
どっちが得するかも損するかもない。






その結果、
私も元夫も、とっても彼らしい思考回路で、

今の時点での結果を出したなと思ってる。




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(お散歩マリコ園長)





何年か前に、
私の経歴を話すと、
あなたは何がやりたいの?って言われた。





美大に入って、ファッションを専攻して
でも就職しないで
バンドばっかりやって
歌を歌って、
母親もやって

離婚して
ボイトレ教室やって
潜在意識や心理学を勉強して、
身体感覚にも
脳にも興味があって
コーチングをして





人生に迷走してると言われたw
定まってないって言われた。

何がやりたいの?って言われた。






まじ余計なお世話だなと思う。






でも、私は、その時は強く言えなかった。
何か一つを極めてきたわけじゃないし、
自分というものにまだまだ自信もなかったから
その人の声を受け入れて、
やっぱりそれじゃダメなのかと思った。







でも、私は
人がこの命を喜んで生きるにはどうしたらいいんだろう?
表現てなんだろう?
個性ってなんだろう?





それらのことを自分が人生を生きるという中で
自分をよく知ることで
とってもわかった。






私は自分の職業はよくわからないなっていつも思う。
肩書きも職業名も巷にあるものに全然当てはまらないから
ある時から名刺に書くことをやめ、
名刺を持つこともやめた。






私は仕事が大貫万里子でいい。
それがよかった。






実はこれは今までたった一人だけ、
きっとマリコさんは肩書きがない人になるのだねって言ってくれた人がいて、
私はそれが嬉しかった。



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(ハマナスの身が可愛すぎて悶える私)



私はなんだか世の中の価値観にどーも当てはめられなくて、世の中がいいというものに

心惹かれなかった。

ハマれない私に

いつもコンプレックスがあった。
それが私なの!という強さも持ち合わせてなかった。






でも
自分を知れば知るほど
『私』という輪郭が強くなっていき、
私はコンプレックスどころか
私でよかったなって思ってる。






オリンピック選手を心から称賛しながら、

それとは違う自分にも誇りを持って欲しいなと思う。






もちろん、
そんな選手に憧れて、
そういう生き方をすることも

自分が心からしたければすればいい。





でも、それができない自分は
もっと違うところに
その才能があるのかもしれないよ。





なーんて思ってたらさ
こんな動画も見つけたよ。

 

 







もっともっと自分を知ろう。