高1長女が不登校になる少し前から

 

地域みらい留学をするまでの話です。

 

 

 

①の不登校になるまではこちら↓
『【不登校から地域みらい留学まで①】中3からの不登校』高1長女が不登校になる少し前から 地域みらい留学をするまでの話。   今回は学校に行けなくなるまでです。     長女の変化を反抗期で済まそうとしていた  今…リンクameblo.jp

 

 

 

 

 

 「血を流し続けながら頑張っていた」状態をようやく理解できた

 

 

長女が学校を休み始めたころ、

 

母親の私はいてもたってもいられず、

 

とにかくネット検索してたどり着いた

 

カウンセラーの方と電話で話しました。

 

 

 

商売第一、不登校の本質を知らない

 

カウンセリングが多い中、

 

親身になってアドバイスをしてくださった先生。

 

 

「娘さんは半年、もしくは一年以上、

 

もう傷つきながら学校に行っていたはずです。

 

 

 

例えばこれは、テニス選手が、

 

ケガをして傷ついているのに、

 

血を流しながら試合に出ていたのと

 

同じなんです。

 

きっと長い間我慢して試合に出ていたので、

 

もう流す血も一滴もない

 

 

頑張り屋さんの娘さんだったんですね。

 

 

 

そこで力尽きて動けないのが今です。

 

 

それでも試合に出てほしいですか?

 

入院しなくては元気にはなれないんです。」

 

 

カウンセラーの先生の言葉は

 

ひとつひとつが胸にしみて、

 

涙が止まりませんでした。

 

 

 

まずここで私が長女の状態を理解できたのは

 

とてもとても重要な一歩でした。

 

 

 

しばらくの間長女と家で心の静養をしよう

 

腹をくくることができました。

 

 

このカウンセラーの先生には

 

今でも感謝でいっぱいです。

 

 

 

 

そこから自分なりに勉強して、

 

長女へのかかわりを変えていくと、

 

長女の目は輝きを戻し始め

 

リビングで多くの時間を過ごすようになりました。

 

 

 

 

 

 

 親の思い描いた進路に進もうとしていた

 

 

学校を休み始めても、

 

「塾には行く」

 

「公立高校に行かないといけない」

 

と言っていた長女ですが、

 

これが自分の希望から発せられた言葉でないことは

 

私もようやくわかるようになってきました。

 

 


そもそも塾に通い始めたのは少し前で、

 

周りが塾通いを始めたことに焦った

 

私の勧めでした。

 

 

 

「塾にもいかなくていいんだよ」

 

私の一言に長女は

 

「ありがとう」

 

とだけ言いました。

 

 

 

思えば今までは

 

「こうするほうがこの子の未来のためだ」

 

とすべてを決めてしまっていたんです。

 

 

 

こんなことになって初めてようやく

 

子どもの心の声を聞きはじめ、

 

それを敏感に感じ取っている長女が、

 

安心感を持ち始めているのがわかりました。

 

 

 

 

 

 

 

 いける高校はありませんと断言された懇談会

 

 

受験というものが

 

人生において重要なポイントだと思っていた私は、

 

「受験生の今年でなければ…」

 

「せめて受験が終わってからだったら…」

 

なんて考えていました。

 

 

 

学校を休み、塾もやめた傍ら、

 

それでも長女が

 

「高校に行きたい」

 

言っていたので、

 

いけるときにはお友達と高校見学したり

 

資料を読んだりしていました。

 

 

 

 

この時代、周りに学校に行けないお友達も多く、

 

お友達にも何人も不登校の子がいましたし、

 

実際ひと学年7~8クラスもある長女の学校は

 

ひと学年に10人以上は不登校者でした。

 

 

 

 

 

これだけの生徒を今までに対応してきたのなら、

 

先生も何か助けてくれるのではないかと、

 

中学校の担任の先生、進路指導の先生に

 

相談にいったところ、

 

 

 

「高校に行きたいなら

 授業に出席することですね」

 

とあっさり切り捨てられたのです。

 

 

 

「卒業生でどんな進路選択があったか

 

 教えてほしいんです。

 

 不登校枠の入試があることも

 

 調べたんですが…」

 

 

 

となんとか引き出せないかと質問しても

 

 

 

「学校にこれないのだから

 

 通信しか道はありませんよ。

 

 不登校枠なんて、

 

   ほんの数人のための措置で、

 

 その枠に入れると思わないことです」

 

 

 

有無を言わさぬ態度で、

 

懇談はそこで終了しました。

 

 

 

 

 

長女は本当に親から見ても器用な子で、

 

成績もよく体力賞もAクラスの運動神経、

 

家庭科の授業はクラスの子に教えてあげるし

 

美術のセンスもある

 

なんでもできる優等生でした。

 

 

 

 

 

その長女が、

 

学校に行きたくても行けない。

 

 

 

 

学校からの帰り道、

 

悔しいやら悲しいやらで

 

涙も止まらないし、

 

しばらく受け止めらずにいました。

 

 

 

 

けれどその言葉が、

 

逆に私を奮い立たせ、

 

絶対に行ける高校があるはずだと、

 

長女と二人、高校探しの旅に

 

出ることになるのです。

 

 

 

 

 

 

次回は

 

二人三脚で探したいろんな進路について。

 

 

 

 

 

 

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