高1長女が不登校になる少し前から

 

地域みらい留学をするまでの話。

 

 

 

今回は学校に行けなくなるまでです。

 

 

 

 

 長女の変化を反抗期で済まそうとしていた

 

 

今から二年ほど前にコロナ感染拡大防止のために

 

休校措置が取られたころ、長女は中2でした

 

 

 

中2のはじめまではやる気に満ち溢れていて、

 

私が仕事に行っている間ほぼ毎日

 

洗濯を干したり、妹弟の食事を用意したり、

 

大好きなスイーツ作りもしていました

 

ある日仕事から帰宅したら、

 

小麦粉2kg分のスイーツ

できていたことも。

 

↑もはやアフタヌーンティー並みの品数を半日で!一人で!

 

 

 

なんと家族全員の部屋のベッドメイキングまで

 

してくれていたんです。

 

「家事手伝いが好きなんだ」

 

「家で好きなことが沢山できて休校楽しい」

 

「逃げ恥みたいな職業もいいなあ」

 

そう話す長女の笑顔が今でも忘れられません。

 

 

 

この子の将来が楽しみで仕方ありませんでした。

 

 

 

少しずつ様相が変わったのは、

 

コロナ休校が明けてから、

 

学校に戻ってからです。

 

 

 

中2の二学期の終わりころ、

 

とにかく作ること食べることが大好きだった長女が

 

給食をほとんど食べてないと連絡が来ます。

 

 

 

上位だった成績も少しづつ下がっていきました。

 

 

 

このころからリビングよりも部屋にいる時間が増え

 

学校のことも話さなくなってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はてっきり「これが反抗期なのかな」

 

周りに相談したりして、

 

「うちもそうよ!」なんて話を聞いて

 

安心しようとしていました。

 

 

 

その時私が長女の声をしっかりきいていたら…

 

何度も後悔しました。

 

 

 

 

 死んだ魚のような目をした長女に愕然とした

 

 

中学三年生になり、

 

クラス替えの結果にがっかりし、

 

部活も思うようにいかなくなり

 

八方塞がりになっていた長女。

 

 

 

その年のGWにあった次女のバレエの発表会に

 

(これが次女にとっても最後のバレエとなり、

 

次女のバレエのことで私も頭がいっぱいでした)

 

観客として会場に来た長女が

 

「先に家に戻りたい」

 

と幕間に言いに来たのです。

 

 

 

それは初めて見る希望を失った目でした。

 

体調の悪さからくるものとは違う、

 

鈍い色の目。

 

 

 

 

それから2週間経つ頃に、

 

ずっと皆勤賞だった長女

 

「おなかが痛いの」

 

と朝小さな声で言いました。

 

 

 

「学校、お休みしよう」

 

ここから長女の不登校が始まりました。

 

 

 

 

 

次回は学校を休み始めてからのお話です。

 

 

 

 

 

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