「打たれ強い」のか? | 大石よしのりオフィシャルブログ Powered by Ameba

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誠意・敬意・熱意をモットーに、希望の種を蒔き続けています。
大石欣則

辻仁成
生きているとわけのわからない攻撃を受けることがある。
いわれもないいいがかりや、それかよと思うような批判とか、
思わぬ人からの不意打ち、裏切り、上げたらきりがない。
人間、生きていればへこむ瞬間が数限りなく訪れる。
ぼくなんかその連続だった。

思えば、そういう攻撃を招きやすい人間だったかもしれない。
攻撃されない人間というのはよく見ていると上手に世の中を渡り歩いている。。
それができない人間はある意味で不器用なのかもしれない。
けれども、攻撃されたくないから自分を押し殺して、上手に世渡りをしたとして、
そんな人生楽しいだろうか?
「楽しくはないけど打たれたくないからうまく生きていくだけさ」
それも一理だ。
ぼくは打たれても、折れないために、
「打たれ強くなればいいんじゃないか」ってある時から思うようになった。

打たれ強い人というのは、つまり「気にしない人」じゃないだろうか。
よくない関係を引きずるからこそ打たれて辛くなるわけだ。
無視できればそれにこしたことはない。
でも、生きていると大人の事情や、面倒なしがらみのせいで、なかなかきっぱり無視ができない。

だいたい世の中というのはどこにでも、必ず文句を言ったり、反対したりする人がいる。
まず、そのことを冷静に分析することからはじめるのがいいだろう。
人間は同じじゃない。
必ず反対の意見の人間がいる。
それは必ずだ。
全員に指示されることなどほぼあり得ない。
必ず文句を言う人たちに向けて何かを言ってもはじまらない。
逆に言えばそれ以外の人に向かって行動することがポジティブであろう。
もしも不意に打たれたなら、そう思うことからはじめればいい。
いちいち相手にするから疲れるわけで、密かに味方を開拓するのだ。
善き一日になりますよに~🌸