戦前戦後の大阪に電気バス 電池「交換式」、再び脚光
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環境意識の高まりで広がりを見せる電気自動車 。ただ、戦前戦後にかけて市民の足として大阪市内を電気バスが走っていたことはあまり知られていない。充電に時間がかかり、走行距離も短かったが、電池を「交換式」にすることで、課題をものともせずに活躍していた。その「交換式」は、半世紀以上を経て別の形で再び脚光を集めている。
大阪市北区 の天神橋筋 6丁目付近にあった2カ所の充電所。「バスは3時間おきに戻り、電池の交換を5分ほどで終えると、またすぐに出発していった」と大阪府 茨木市 の首藤功夫(しゅとうのりお)さん(93)は振り返る。
1937年、大阪市営の電気バスが大阪市内を走り始めた。首藤さんはその翌年、電池の保守・点検を行っていた湯浅蓄電池 製造(現・GSユアサ)に入社。電気バスの電池の改良に携わり、いまは当時の資料を収集している。
「音がせず、最初は乗る人も歩く人も驚いた」というが、すぐに親しまれた。多い時期で8台が天神橋筋 6丁目から御堂筋を通り、難波(大阪市中央区 )などまで走っていたという。
当初開発された電気バスは1回の充電で80~90キロほどの距離を走行。時速約30キロで走った。電池は鉛を使い、充電に5時間以上必要だったため、給油するように手軽に充電することはできなかった。そこで考えられたのが、電池ごと交換する方式だった。
充電所で予備電池を充電しておき、戻ってきたバスの電池を取り換える。バスは輸入したトラックを元に造られたが、交換式は日本で考えられたという。大阪で電気バスが走ったのは、京都に湯浅があったことが大きかった。交換式の電気バスは名古屋市 や台湾などにも広まった。
首藤さんは急速充電の方法を研究した。素早く充電できれば予備電池の数を減らし、より経済的に運用できる。しかし、電流を大きくするため、電池が過熱する。熱は電池の寿命を短くする欠点があった。2年の研究の末、電池を水冷式にし、表面に凹凸をつけて効率よく冷やすことで、負担が少なく、3時間で充電できるようになったという。
「『石油の一滴、血の一滴』といわれ、当時は燃料が貴重な時代だった」。戦争へと突き進む国の方針で、石油燃料を使わない交通手段に補助金を出して開発が進められていたという。
電気バスはその後、石油燃料を使う車に採算面で勝てなくなり、51年に大阪市からは一度姿を消した。ただ、最近、電池の「交換式」が見直されつつある。
パナソニック は、電動バイクや電動アシスト自転車 向けにバッテリーステーションを設け、「交換式」を導入する。昨年1月に神奈川県 鎌倉市 で実証実験を開始。今春からは同県藤沢市 で本格運用を始める。電気自動車 についても「今後同様のサービスを検討する」(パナソニック 広報)という。
首藤さんは「交換式を使えば、環境に優しい電気バスや車を走らせられる。排ガスや騒音問題 のない社会をつくって欲しい。御堂筋を走る電気バスをまた見るのが夢」と語る。(神沢和敬)
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〈電気自動車 〉 蓄電池 大手のGSユアサ(京都市 )によると、1873年に英国で試作されたのが最初とされ、その11年後に完成したガソリン車よりも歴史は古いという。その後、ガソリン車やディーゼル車がエンジン性能の向上や石油の安定供給で主流となるが、2度の石油危機 など、エネルギー情勢の変化のたびに電気自動車 が見直されてきた。1949年には京都で電気自動車 を使ったタクシーが走ったほか、70年代ごろには東京、大阪、京都などの路線バスで一時導入された。最近は各地で電気バスを導入する動きが相次いでいる。
以上
朝日新聞ニュースより。
LRT、LRV論と平行する、環境に優しい乗り物の原点ですね。
神戸は、きっともっとずっと素敵になる
神戸市会議員
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