有り難いことに最近読者になって頂いた方が多いので
時々過去記事を再録しています。 2020-02-07 23:26:00の記事より
左翼が好きな言葉”世界平和”
もちろん、左翼だけでなく誰でも世界が平和であってほしいと願うものですが
保守の視点から見て政治家でもなんでもない私達一人一人が世界平和の為にできることはあるのでしょうか。
フェミ推進・LGBTなど、家庭をバラバラにさせる左翼は(知ってて行っているか知らずにしているかは知りませんが)世界平和とは真逆のことを行っているのではないでしょうか。
過去記事(家族崩壊で左翼は喜ぶ)と似たようなことをおっしゃっている動画がありました。
気付いている人は本当に少しずつですが、増えていっています。
10:11~
全ては家族崩壊への足がかり
「多様な家族形態を認めよ」とのイメージ付け。
保育時間が長くなっていく。
親と子供との時間を短くする政策、プロパガンダ。
全てが家族解体をしたいがため!!
旧共産圏、旧東欧がどれだけ大変だったか!
もちろん、多くの政治家やマスコミは気付いてない。
平和の為にできること
テーマ:ブログ
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<マザー・テレサの言葉より>
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http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=224
マザー・テレサが一般に向けて、すぐに誰もが出来ることとして残した言葉はこれです。
「世界平和のために何ができるかですって?家へ帰って、あなたの家族を愛してください。」
基本に帰るということですね。
もし現在、家族がいない人は住んでいる地域を愛することから
はじめたら良いのではないかと私は思います。
つまり自分の家の近所ですね。近所の人に声をかける、家の前をきれいに掃除して通行人に
気持ち良くなってもらう。自治会などで貢献するなど。
実際、面倒だと思うでしょう。気持ちは分かります。私も引っ込み思案なので(^^;)
できることから始めるのでも良いのかもしれもせん。
怪しげな反戦平和運動するより現実的だと思います。
<中村天風先生の言葉より>
それから、以下の本でも、家族について語られています。心身統一合氣道、宗主の藤平光一先生の師にあたる哲学者、中村天風先生の書の一つです。
少し難しい本でしたが引用します。
- 叡智のひびき 天風哲人箴言註釈/講談社
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多くいう必要のないほど、平和という言葉は、
現代の世界人のいわゆる民族常識のスローガンになっている。
がしかしである。
しからば、その平和なるものが、どこかに真実に果たして現実化しているかというに、
遺憾ながら「否」と答えざるをえないのが今の世の実相ではあるまいか!
そもそもこれはいったいどういうわけなのだろう?
かりにも、人という人のすべてが、平和ということを心の底から念願しているにもかかわらず、
一向にそれが実現化されないというのは?
私は思う。
それは畢竟(ひっきょう<つまるところ>)、平和を実現化するに、何よりも必要な「和の気持ちというものが、人間の個々の心の中に欠けている
という、忽諸(こっしょ)<おろそかにする事実>に付すべからざる事実があるからであると。
…
ところがいざとなると、なかなかもって、さにあらずで、頭から「和の気持ち」という尊いものなんか、どこかに放置してしまって、ただ争わんがために争うという、第二義的の低級な感情のみを炎と燃やして、喧々囂々(けんけんごうごう)する。これでは第一、平和の女神が寄りつくべくもない。
…
そこでしからばどうすればこの目的を達成できるでしょう?私はあえていう。
「それは、何よりも、第一に個々の家庭生活の日々の暮らしの中に、真実の平和を築くことだ」と。
いいかえれば、家庭の中に、ことのいかんを問わず、断然争いを起こさぬことである。
要するにこの「広い世界に、幾多数え切れないたくさんの人という人のいる中に、自分たちだけが、一つ家の中に、夫婦となり、親となり、子となり、兄弟姉妹となり、さては使うもの使われるものとなって一緒に生活しているということが、並々ならぬ、換言すればとうてい人間の普通の頭であは考えきれない「縁(えにし)」という不思議以上の幽玄なるものが作用した結果だという、極めて重大な消息を、重大に考えないからである。
…
まずこの「縁」を重大に考えるのである。
すなわち、人為的にどうすることもできない
このアトミック・カルパスクル<一切の物、事を完全化しようとする宇宙に存在する自然現象>
の作用を尊重以上、むしろ尊敬するのである。
すなわちこの犯すべくもない真理に立脚して、一つ家の中に起居生活するものを、
別個の存在と考えないのである。すなわちすべてを「一つのもの」と考えるのである。
…
己が、己を憎んで、己を疎外したり、己を打ったり、叩いたり、
正気のものならするはずがないのと同様である。
東郷平八郎、原敬、北村西望、松下幸之助、宇野千代、双葉山、稲盛和夫、広岡達朗など、その影響を受けた人々は多様で、自らの人生、事業経営に天風哲学を活かしている。昭和43(1968)年、92歳で生涯を閉じる。
つまり、「修身斉家」です。(「礼記」大学)
家をととのえてこそ初めて国がととのう。
さらに言うと家をととのうためには自分が良くならないといけないということです。
仁義の村にするには、まず自分の家を仁義親和の家庭にする必要があり、
それにはまず自分自身を-と二宮翁もおっしゃっています。
「己が家 仁にならずして 村里を仁にせんとするは、
白砂(はくさ)を炊(かし)いで飯にせんとするに同じ。
己が家 誠に仁になれば、 村里仁にならざる事なし。」
二宮翁夜話
<以下追記>
愛国的・日本的なことを言うと「時代遅れだ。」「何宗教的なことを言っているんだ」「お前は男尊女卑か」「戦前回帰か」「差別主義者か」…等々
個人主義(自我を助長する)を奨励する現代の世の中、これらの分断工作は日本中、世界中で見られています。
家族の解体こそが分断工作の最たるものではないでしょうか…
家村和幸氏の「闘戦経」のあとがきを読んで非常に感銘を受けました。
随分前に購入した本なのですが、何度も読み返しています。その一部を引用させて頂きます。
個人の霊魂は、同一の根源を有する幾億兆の無数に分かれた分霊分魂の一つに過ぎないのである。
万世一系の天皇を中心とする共同体に生きてきた日本人はこのことを無意識に理解してきた。
だからこそ、男女を問わず、人の肌の色を問わず、人も犬も猫も問わず、皆が信頼し、心を許しあう「地上の楽園」を築くことができたのである。
数億兆の無数にある分霊分魂のうち、清浄な状態の霊魂を「直霊(なほひ)」と言い、汚れ穢れた状態の霊魂を「禍津毘(まがつび)」と言う。
略
「禍津毘」は、この同一根源の分霊分魂という同胞意識を欠き、あくまで個人を中心とする意識(心の分裂性・相対性)に支えられた霊魂であり、万物の本性を覆い隠して分裂解体をもたらす。
集団で社会を形成し、集団で社会を構成し、その一員としての務めを果たすのが人間本来の性であるとすれば、それに反し、集団社会を離れて個人主義に走り、自我に執着して私利私欲に走ることから邪悪が始まる。そして集団社会の分裂解体こそが人間悪、社会悪の根源である。
それゆえ、天皇を敬う心を失うことは罪の始まりであり、この人間社会で最も美しく尊い統一体である日本の国体を破壊しようとすることが、最大の罪なのである。
あらゆる霊魂が根本と抹消の関係で繋がっている以上、相互に影響を及ぼしあうことは避けられない。邪悪、穢れにより人々の霊魂が「禍津毘」になれば、天地の霊魂もまた「禍津毘」になる。人心が悪くなれば、天地自然も悪くなり、災難をもたらす。これを「万有一体の罪穢れ」という。
罪とは、生成発展を延滞させ、阻害し、途絶させることであり、穢れとは「気枯れ」、すなわち霊魂が疲弊して、気力を失い沈滞することである。
引用おわり
フロイト(ジークムント・フロイト 1856-1939)が最初に提唱した潜在意識。
(画像はお借りしました)
潜在意識では私達は繋がっているということを日本人の先祖は何千年も前から知っていた。
霊魂というというと唯物論者は嫌がるかもしれないけれど
霊魂の次元では私達の魂は大霊の分身分霊であると現実に日本人は信じてきた。
つまり、私達は神様の分霊であると。
だから共同体を大切にしてきた。
だから皇室をかなめにして日本人はひとつになってきた。
だから日本をひとつの家族になぞらえてきた。
天皇陛下を父になぞらえて敬ってきた。
天皇陛下は国民を我が子となぞらえて愛されてきた。
左翼は皇室を憎んでいる。
「戦前の国民は皇室を憎んでいた」と思い込んでいる。
それは共産党が戦前に弾圧されたのも一因。
弾圧されたのにはされた理由がある。
戦前ですでに右翼にさえ共産主義思想が入り込んでいた。
そういう共産党史観が今では一般の国民にもすっかり浸透してしまった。
その他あらゆる方法で国民が分断に分断を重ねられて今はボロボロの状態になっている。
人心は悪くなり、天地自然も悪くなる。
人心から取り戻さなければこれからの令和の時代を日本は生き抜くことができないのではないのでしょうか…
修身斉家。
まずは身近なところから築いていきたいものです。
長文おつきあいありがとうございました。