がんと向き合うことから
第2の人生が始まる

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今日はゆったりのんびりの一日だったから
この本を読んだり
何気なく以前のブログ記事を読み返しながら
過ごしていた

「孤独を克服するがん治療」
押川勝太郎著 1500円

この本に関しての紹介は後日 別記事として書くつもり




明日(8月18日)はちょうど「ピアサポートひたち窓口」の
担当日



私がピアサポートを考えるようになった「原点」を
思い出した


こんなことがあったんだよね・・・
今でもあのときのことは鮮明に覚えてる



Hさんが天国に旅立ってもうすぐ7年になるんだね・・・
ピアサポートに係わるようになってからも
もういつのまにか8年め


そのあいだにも 本当にいろいろなことがあった

Hさんだけでなく たみちゃん 札幌のひまわりさん
はるみちゃん I村さん モモさん KAZさん Mちゃん
Yさん Sおじさん・・・ 
深く関わった仲間だけでも10人もの旅立ちを見送った

他に関わりのあった人を含めると20人近くになる


そして自分自身にもいろいろあった



いろいろな経験が私を鍛えてくれている

しみじみそう思います・・・





今日は 2010年11月26日のブログ記事
「ピアが教えてくれたこと その1」を再掲します

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Hさんのこと・・・



奥さんは10年ほど前にご病気で亡くなられ
娘と二人暮らし

Hさんの娘と私が知り合いだった


定年退職して数年めに「がん」が見つかった



東京の病院で治療を受けることに自分で決めて
数回の抗がん剤治療も電車でひとりで
通ったらしい



娘は状況を軽く考えていたのかもしれない
いや軽く考えたかったのかもしれない


Hさんも「ひとりで大丈夫」と言ったという



1年後に再発した



私が再発して2年くらい経過したときだったと思う


再発してからの父親の落胆ぶりを
さすがに娘は放っておけなくなった


それで再発しても元気な私と会わせたいと
私に連絡があった


初めてお会いしたときのHさんは「老人」だった
私の父よりずっと若いはずなのに


暗かった   笑みが全くなかった


骨転移の痛みで歩くのもつらい
膝の屈伸もできない・・・
いろいろ私に話してくれた


いろいろ話しているうちに笑顔も出て来た


あれっ あまり痛みを感じない と
少し歩いてHさんは私に言った


あれっ 屈伸もできる


顔が輝いた   一瞬にして10歳分くらい若返った



「よくわかりました・・・
病気には孤独が良くないですね・・・」と

Hさんは言った


「あなたが娘と知り合いでよかった」と言ってくれた



再発治療のため近々東京の病院に入院すると言う



「東京にときどき出かける用事があるので
そのときに病院にお寄りしますね」 と私は言った


いえ、いいですよ・・・とは言われなかった
「ぜひ来てください!」とHさんは言った



実はすでにかなり末期の状態だった


しかし娘に本当のことを話せないでいたのだろう
私もこの時点ではそんなにひどい状態だとは理解していなかった



最初にお見舞いに行ったときは
ベッドから起き上がって
「上に美味しいレストランがあるから行きましょう
ごちそうしますよ」と歩いて私をレストランに案内した


Hさんも「英語」が趣味で私と共通の話題で盛り上がった
自分が輝いていた頃の話を楽しそうにたくさん話して
私に聞かせてくれた


「お疲れになってしまうと良くないですしそろそろ帰りますね」
かなり長い時間おしゃべりしたあとで私はそう言った



「電車の時間が大丈夫ならまだいてください
こうやって話しているあいだは痛みを感じないから・・・」


東京の病院でただひとり・・・は淋しいよね



「また寄りますね」私は言った

レストラン特製のクッキーの詰め合わせをお土産にと
プレゼントしてくれた



次に訪ねたときはもうレストランまで行く元気はなかった

ベッドサイドで話していたら看護師さんが入って来た


「今から放射線科の先生のお話があります 
先生のところに行きますよ」とHさんを車イスに促した


「それじゃあ 私はこれで失礼しますね」


Hさんは次の瞬間こう言った


「お願いがあります 一緒に先生の話を聞いてもらえませんか?
看護師さん、いいですよね?  この人は家族ではありませんが
娘の友だちなんです   娘の代わりってことでいいですよね?」



ええっ?    私は驚いた


私は家族じゃない・・・   
Hさんの長い付き合いの友人でもない・・・
今日で会うのはまだ3回めにすぎない・・・


それなのにこんな重要な役目を私が?



でも・・・
ひとりで先生の説明を聞くなんて
こんなつらいときに誰もそばに付いていないなんて
懇願するHさんを置いて帰ってしまうなんて   

そんなことはできない    したくない


私もがん患者だ  
Hさんの気持ちが痛いほどわかる



この展開に戸惑いはあったけれど
私の気持ちに迷いはなかった



多発骨転移のX線画像を見せながら
冷たい不遜な態度の若いドクターは説明を始めた


何を言われても
「はい」と小さくなってるHさんが哀れだった


悲しかった    怒りも感じた


付き添っているのが家族じゃないから?
このひどい態度は何?????
どうしてこんなにエラそうなの?
患者に対しての愛はないの?


私もがん患者だからドクターの説明の内容が
悲しいほどに理解できてしまった

どんなにHさんの状況が厳しいものなのかも・・・



泣けるほど冷たいドクターだった
私が家族だったら絶対に文句を言ってやりたい
そう思った


他人だからそんなことはできないとよけい悲しかった

 
  
病状と治療についてメモを取り
間違いなく娘に伝えなくては・・・  必死だった



Hさんは厳しい状況を冷たく宣告され
ショックで頭が真っ白だったと思う


実際、ほとんど先生の説明の詳細は
耳に入っていないようだった


とにかくこのドクターは患者の心に寄り添うところが
ひとつもなかった


Hさんは言った


「もうひとつお願いがあります・・・ 
娘にあなたから先生の説明を伝えてもらえませんか」と

「一緒にいてくださって本当にありがとうございました
ひとりではとても無理でした」とも



一緒にいてあげられてよかった・・・



次にお見舞いに行ったときは
「薬」で寝ているところだった
サイドテーブルに小さなお花だけ置いて病室を後にした



このあとまもなくHさんは容態が悪化
そのときから娘は仕事の休みを取って
毎日付きそうようになった



それから3週間くらいあとだっただろうか
Hさんは天国に旅立った・・・娘に見守られながら





私がピアサポート事業に協力することに決めた
「原点」とも言える出来事です


がん患者の身で他のがん患者の付き添いをして
ドクターの話を聞く・・・という貴重な体験もさせて
いただきました


ありがとうHさん!    


おかげで私は強くなりました