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12年前の今日(1月8日)が「手術日」でした

あの日から12年めの今日は「肝転移」治療中にも
かかわらず普通に元気です!

この年末年始も手術前の私のような元気さで
過ごすことができたことが本当に嬉しいです


年末年始は友人たちや家族の優しさや温かさに
包まれてとても楽しく幸せな時間を過ごすことができました
後日ブログに書いて行こうと思います


昨日まで故郷で過ごしていたため
今日が日立での2016年初日・・・


帰省しているあいだにエアロつながりの長年の友達
(インストラクター)Tちゃんから「干し芋」が届いてました

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会いたかったしお礼を伝えながら
Tちゃんのレッスン担当時間を狙ってゆめちゃんと
スポーツクラブまで出かけました

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やはり長年のつながりのインストラクターCちゃんや
メンバーMさんにも会えちゃった♪

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そしてスポーツクラブからの帰り道には
まさかのみぃ先生に遭遇! もうビックリ~!

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もう自分の「引き寄せ力」は確信してます(笑)


けっきょくみぃ先生はのちほど我が家に遊びに来てくれ
ゆめちゃんともども大喜びでした♪

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2016年も「人とのつながり」が「生きる力」としみじみ
感じた嬉しい今日の一日となったのでした☆


昨年の今日(2015年1月8日)のブログ「手術から11年・・・」
再掲したいと思います
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11年前の今日(1月8日)が「手術日」でした


2003年12月中旬に
N子先生のクリニックで「乳がん」と診断され
クリスマス直前に 手術・治療を受けることに決めた今の病院へ行き
年明け一番に手術をすることに決まりました


2004年の年末年始も今年と同様 故郷に帰省せず
初めて日立の我が家で過ごしました


部屋から素晴らしい初日の出を眺めながらも
心は不安でいっぱいで
少しも晴れやかな気分になることはありませんでした


1月5日に入院しました


今回もお世話になっているチャイママさんとリバーズちゃんが
ダーリンと一緒に入院の日も付き添って
何くれとなく私の面倒を見てくれました


私は出産経験もないので人生初の入院生活に
本当に不安でいっぱいでした

病気で入院して頑張っている子どもたちを
なんてエライんだろうと思いました
大人でもこんなに不安なのにと・・・


腋下リンパも触ってわかるほど腫れていたので
術後の病理検査の結果を待たないまでも
「リンパ節転移」の可能性は濃厚と言われていました


となると決して「初期」ではないわけで
「希望」を持ちたくても調べると暗い情報ばかりだったし
だったら調べなければいいのに知りたがりの私は
何も知らずに過ごすことの方がとても耐えられず
本当にたくさんの本や雑誌やインターネット情報に
目を通しました


でも11年前はブログも存在してなかったし
「乳がん」関連のHPも数えるほどしかなかったし
詳しい医療情報を伝えるサイトもなかったのでした

出版されていた「闘病記」のようなものは
亡くなられた方のものがほとんどだったなあと思い出されます


病院では先生方に
「フェニックスさんは若いから・・・」と何度も言われ
「あ~がんになるには若いんだ・・・」と改めて思いましたっけ・・・

実際11年前の私には同世代の友人・知人の「がん」経験者が
ひとりもいませんでした


なかなか明るい未来を想像するのが難しかったです


手術当日もチャイママさんとリバーズちゃんが病院に来てくれました
両親も愛知県から駆けつけてくれました

ダーリンと5人で手術のあいだ待っていてくれて
最初のうちは談笑してたものの 手術の予定時間を過ぎた頃から
全員言葉がなくなり・・・
けっきょく1時間オーバーしたので
その1時間が気が気でなくつらかった・・・と後で聞きました


手術の結果 がんは乳腺全体にかなり広がっていたので
病理検査を待たずにやはり「抗がん剤治療」はやると決まりました

術後の「抗がん剤治療」は私には副作用がつらかったので
2004年はとにかく暗い想い出ばかりです

大好きなエアロもそれから1年間はできませんでした


ちょうど同時期に乳がんで「温存手術」を受けたという
同じスポーツクラブのメンバーの方がいて
「~さんは手術直後からエアロレッスンを普通に受けてるよ」と
ウワサに聞き自分とのあまりの違いに
どうして私はこんなにヨレヨレの状態になってしまっているのだろうと
ますます落ち込んだりもしました

他人との比較は無意味なのに比較してばかりでした
この方は早期発見で手術のみ 
抗がん剤治療も放射線治療も必要なかった方でした


手術前元気が取り柄だった私は抗がん剤の副作用のひとつひとつも
初めて経験するような「不調」だったためすべてをかなり不安に感じました


「この子のために頑張る!」という他の乳がん患者の方の言葉などを
本や雑誌で見かけると
「・・・私には頑張る張り合いもない・・・」とそれだけで悲しくなり
子供がいないことに劣等感が募り悲しくなって泣いたりもしました

今振り返るとどうしてあんなにも心身ともに
ヨレヨレの状態になってしまったのだろうと思うほどにヨレヨレでした


手術から2年足らずで「鎖骨リンパ節再発」しました


ちょうどがん関連の雑誌で
乳がんの鎖骨リンパ節転移の方と医師の鎌田實先生の往復書簡が
掲載されていてその方がそれからまもなく亡くなられたこともあり
あ~私の人生も長くないな と思いました


あの頃と比べると・・・
11年後の今 鎖骨リンパ節再発から9年後の今は 全然違いますね(笑)


肝臓多発転移が見つかり
ホルモン療法をしたものの抑えられず
抗がん剤治療に切り替わった・・・という状況なのに
度胸が据わったというか・・・ジタバタしていません
楽観的でも悲観的でもなくただ淡々とというか気持ちは落ち着いています


「肝臓転移」の方がよっぽど暗い情報ばかりだし
「肝臓転移」の方のブログを読むと亡くなっている方が多いし
相変わらず調べ好きで知りたがりの私はいろいろ暗くなりそうな
情報もしっかりチェックしてるのに(苦笑)ほとんど動揺することもなく
まあそれはそれで・・・という感じで受け止めていられるのが
我ながらすごいと自画自賛です(笑)


精神状態が11年前と全く違うのに
こうやって書きながらも改めて自分でもびっくりします


11年のあいだのがん患者としての経験や人とのつながりが
ここまで私を鍛えてくれたようです☆


「再発患者」として長く過ごして来たことも大きいのかも
しれません


私は手術から2年後に「再発」したときには最初はショックを
受けたもののそれがきっかけで
開き直って「もうここまで来たらあれこれ悩んでも仕方ない」と
思うようになりました

「鎖骨リンパ節再発」がキッカケで
「~しなければならない」という思考から解放されました
それまでの私は自分で作ったルールにがんじがらめでした

無理もしなくなりました
身体の面でも心の面でも・・・

いい意味でかなりいいかげんな人になりました
自分で言うのも何ですが以前の私はかなり几帳面でしたから(笑)

現在の私が過去の私を第三者的に眺めてみると
「面倒くさい人だな~ どうしてそんなに細かいことまで気にするんだろう
疲れる~」と感じます(笑)


再発後も元気にイキイキと生きているがん患者の先輩たちの話を
たくさん読んだり実際に会ったりしたことも大きな力となっているし
長年に渡る友だち 仲間 家族の愛もさらに大きな力強い支えとなってます

「鎖骨リンパ節再発」がきっかけで
楽しいことやりたいことはやれるなら躊躇せずやって来ているし
落ち着いていられるのは だからなのかな


先のことは誰にもわからない 
わからないことで悩むのは無駄と思う境地に達せたのかな


そして・・・ ゆめちゃんの存在は何と言っても大きいです☆


これからも楽しいことをできるだけ積み重ねて一日一日を大切に過ごすのみ!
と手術記念日の今日改めて思うのでした

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この文章を書いてから1年が経過した現在は
さらに精神的に逞しくなったのを実感してます(笑)

今年も楽しいことをどんどんやりながら
無理せずゆるゆると過ごして行きたいと思います!