先日この記事にとても共感しました。
ダンナさんの子育て方針が、わたしのやりたい「心屋的」なものと真逆な時、どうする??
http://ameblo.jp/meguko12/entry-12142227188.html
いえね、わたくし心屋さん界隈には
かかわりがないんですけれども。
自分の人生、やりたいことやろうよ。
かといって、自分は自分、ひとはひと。
自分の思惑で人を動かそうなんてありえなーい。
自分がされたら、イヤじゃない?
って、
「心屋的」といわなくても
そのとおりなお話と思ったの。
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私自身、かつて「~べき」をたくさん、強く
握りしめていました。
今も残るけど、これでもむかしよりははるかに
マイルドになったのよ~
「正しさ」で自分も他人もさばいてきたよね。
「常識」とか、その逆を「ありえない」とか
しょっちゅう言ってたよね。
「責任感」いつも長所やら強みの上位にきてたよね。
でもね
「正しい」を握りしめ、そのこぶしを振り回すとね
自分も周りも痛いのよ。
で、そんな人には近寄りたくない。
近寄ってもらえないさみしさを感じまいと
余計に振り回したりしてね。ややこしや~
「~べき」と常識でしばるのも
そうでない、理想の姿でない自分はゆるせないとか
欠けている(と自分からは見える)ところのある相手も
そのままで大丈夫、という安心感をもてていないとか
いろいろあるだろうけど
それらの根っこがいやされていけばこだわっていたはずのことは
案外どうでもよいことだったりするんだよね。
時やところ変われば、常識なんて逆転するし。
正しい より 楽しい を大切にすると
もっと、ずっと、息がしやすくて
にこにこして過ごせることが多くなるよ。
そういえば、あるべき食事やら運動やら
していいこといけないことあれこれにはまって
あげく何も食べられなくなったこともありました。
(どんだけ、べきべき、なんでしょう 笑)
で、ようやく
こりゃいかんと気づいて手放してきたのですが。
その間の夫は、まさにこの
ほっとけ。
ですよ。終始かわらずに。
妻がどんどん体調くずして
まともに家事できないとなれば
現実的にほぼその一身にしわよせがいく
(実際いろいろ相当たいへんなことになった)
にもかかわらず
「これ食べたら?」
「ジャンクも程度とバランス次第。
少しくらいいいんじゃん~」
と言いはするけれど
「選択するのはあなただよね」
を貫いてくれていました。
ふりかえれば何ともありがたかったこのスタンス。
それもあってね。
その後やってきた大切な息子には
何があっても、このひとは、大丈夫。
と、それなりに、わりと
信じてほっとけているかな。
で、心配でほっとけないときの私も
それもまた、だいじょうぶなんだよね。