先日、豊かさに関してお話をきく機会がありました。
その中のトピックのひとつが、開運メイク。

これまでの全く別の方面から何度かきいたテーマで
それぞれどんな情報に基づくのかは存じませぬが
みんな基本のところ一緒なのね。

というのも
どなたも口を揃えておっしゃるのは


キラキラ、ツヤツヤ、ピカピカした感じが大事!


ということ。


どんな顔の人に近づいていきたいか、といえば
そりゃキラキラ、ツヤツヤ、ピカピカ、
外面も内面も輝いている感じの方。

逆を考えてみれば
くすんだりガサガサした元気のない感じの人に
わざわざ近づいていかないですよねえ。


神様なり、運気なりも
そういう、人好きのする。お顔
(ひいてはたたずまい、ということでしょうかね)
によってくるそうですよ。
よってきてくれる人々が
よい気をもってきてくれるということも
あるのではないですかねえ。


長年ほぼスッピンが多かった私が
朝バタバタしつつしっかりメイクしております
この2か月。


雰囲気がやわらかくなったとか
パーソナルスタイリストさんに
「似合う服の範囲が増えた」といわれたりとか


今さらながら女子を謳歌中~♪
何より自分がたのしいのがいいね。
周囲の幼児が習い事をたくさんしていて
いろいろできてあせる、というお話を
お母さん方から伺います。


いわゆる早期教育、あるいはお受験。

だれの、なんの、ために?



ええ、うちの息子にも
身体を動かしたり、楽器ひいたり、そのほか
さまざまの体験をしてほしいなとは願っております。

その中から
こども自身のたのしい、うれしい、好奇心の
タネをみつけて
本人が伸ばしていくのを、支えていきたいから。


ただね

英語、読み書き、水泳や体操など
自分がした苦労をわが子にはしてほしくないとか
こどもは活躍してほしいの、と
親の切なる願い、愛情からはじまる習い事

一歩まちがえると

親の思う「できる子」をめざしてしまう。
かえって、習ったそれが大キライ、にすら
なりかねないよ。


あれこれ習わせ、せきたてて
こどもは表情がなくつかれてみえるとか
「〇〇の時間だから帰るよ!」のママの声かけで
すぐ素直に帰るとか…

だれの、なんの、ために?


子どもの、幸せの、ためだとしたら。
ちょっとタイミングを待ってみてはどうかしらね。


その子が興味をもつタイミング
その子がガーッとのめりこむタイミング


人はそれぞれだから。
タイミングにはまれば、ぐーんと伸びるのは明らか。


大人の側の観察する力が問われるけどね。

なんなら、どうしてもやらせてみたいなら
興味をひくタイミングにこっそり誘導するのが
腕の見せどころ、と大人がたのしむのも一興よ。


子の人生は、その子自身が生きていくもの
おかあさんのものじゃない。
親の価値観にそえる子が
その時も、後々も、幸せかなあ。


だれの、なんの、ために。
先日、アドラー心理学をベースに語りあう
母親たちのお茶会に参加しました。

周りの人は自分の鏡

という共通認識があると話がスムーズで豊か~

だって
夫や子ども、友人、職場の同僚、
なんでそんなことするの?いやだなあ、と
日常では「うちも~」とグチ大会になりそうなネタもみな

自らの心の投影だと見れば
私は本当は何を思ってる感じてる?
じゃあどうしたい?

と、建設的なエネルギーをつかって
よりよい環境をつくりだすきっかけになるんだもの!

それこそ他の方のお話も
どこか自分のことと重なっていて
気になっていたこともスッキリ。

優雅に楽しい時間を過ごしたおかげで
夜、息子ともいつになくゆったり過ごして。
なんと早くからお風呂に入ってくれるし
この絵本読んだら寝る、と自ら切り上げてくれるし
お布団でラブラブ♡

なーのーに。だいぶ早かったため眠れず、
それどころかいつもの時間を過ぎても寝ない息子に
だんだんイライラ…
おやまあ。

上機嫌、がいっぱいつまったような一日にも
水を差したくなるマインドをまだもってたのか私。
またも完璧主義あらわる。あきれる。わらえる。

なんでかなあ、と暫くねかせておいたらピンときました。
母親への想いからきてるでしょ。

父とのことはすでに落ち着いており記事にしたけれど
母親とは現在進行形でして
何度かトライしてざせつしたんだよね実は。

すぐには結論でないかもしらんけど
向き合ってみよう。そうしよう。
息子かやってくるよりずっと前に
もち前の好奇心でもって
あれもこれも知りたい聞きたいと

心理学、傾聴、自己啓発やスピリチュアル
精神医学、代替療法、マクロビその他の食養生
ヨガやダンス、整体、マッサージ、ほか身体との対話
などなど

自らの人生における体験的な学習とともに
まなびの時期がありました。

どこまで拡散するのかと思いつつ進んできたけれど
近年収束していたのだなと
あらためて感じています。

結局、それぞれ入り口、切り口が違えど
核の部分はさほどちがわないんだよねえ。


いずれも

心身健やかに、幸せに生きること

を希求する手段だから。


で、どれに関しても

自分自身とのコミュニケーションがとれていること
自分にとって、心地よい

を選ぶのがいいと思うの。

これが正しい
誰それ(外側の権威)がいってたから
とか、関係ないよね~


身体と心はつながっているから
どこからのアプローチだっていいし
その中で自分にあった手段を使いこなせばいい。


---


最近読んだ本、著者の方々が
一見は全くちがうのだけど
各々の仰ることが近しいように思える。


「幸せになる勇気」
鈴木真奈美さん
心屋仁之助さん
子宮委員長はるさん


どんなもんでしょう。

幸せでいるヒントは
ピンとくる辺りからまるまるもらっちゃえば?
先日この記事にとても共感しました。

ダンナさんの子育て方針が、わたしのやりたい「心屋的」なものと真逆な時、どうする??
http://ameblo.jp/meguko12/entry-12142227188.html

いえね、わたくし心屋さん界隈には
かかわりがないんですけれども。

自分の人生、やりたいことやろうよ。
かといって、自分は自分、ひとはひと。
自分の思惑で人を動かそうなんてありえなーい。
自分がされたら、イヤじゃない?
って、
「心屋的」といわなくても
そのとおりなお話と思ったの。

---

私自身、かつて「~べき」をたくさん、強く
握りしめていました。
今も残るけど、これでもむかしよりははるかに
マイルドになったのよ~


「正しさ」で自分も他人もさばいてきたよね。
「常識」とか、その逆を「ありえない」とか
しょっちゅう言ってたよね。
「責任感」いつも長所やら強みの上位にきてたよね。


でもね
「正しい」を握りしめ、そのこぶしを振り回すとね
自分も周りも痛いのよ。
で、そんな人には近寄りたくない。
近寄ってもらえないさみしさを感じまいと
余計に振り回したりしてね。ややこしや~


「~べき」と常識でしばるのも
そうでない、理想の姿でない自分はゆるせないとか
欠けている(と自分からは見える)ところのある相手も
そのままで大丈夫、という安心感をもてていないとか
いろいろあるだろうけど

それらの根っこがいやされていけば
こだわっていたはずのことは
案外どうでもよいことだったりするんだよね。

時やところ変われば、常識なんて逆転するし。


正しい より 楽しい を大切にすると
もっと、ずっと、息がしやすくて
にこにこして過ごせることが多くなるよ。


そういえば、あるべき食事やら運動やら
していいこといけないことあれこれにはまって
あげく何も食べられなくなったこともありました。
(どんだけ、べきべき、なんでしょう 笑)
で、ようやく
こりゃいかんと気づいて手放してきたのですが。


その間の夫は、まさにこの

ほっとけ。

ですよ。終始かわらずに。


妻がどんどん体調くずして
まともに家事できないとなれば
現実的にほぼその一身にしわよせがいく
(実際いろいろ相当たいへんなことになった)
にもかかわらず

「これ食べたら?」
「ジャンクも程度とバランス次第。
  少しくらいいいんじゃん~」

と言いはするけれど

「選択するのはあなただよね」

を貫いてくれていました。
ふりかえれば何ともありがたかったこのスタンス。


それもあってね。
その後やってきた大切な息子には

何があっても、このひとは、大丈夫。

と、それなりに、わりと
信じてほっとけているかな。

で、心配でほっとけないときの私も
それもまた、だいじょうぶなんだよね。