自然豊かな某所に
かねてより願っていた学校を創ってはや数年。

こぢんまりと、あたたかさに満ちた
こどもたちの居場所
かつてこどもだったことを忘れない
おとなたちの居場所。

人と比べて自分がどうとか、どうでもいい。
あなたには、あなただけの、よさがある。
何より自分自身を大切にして。
心の声に、耳をすましていてね。

健全な自尊感情をもち
自分にやさしくできる者こそ
他人にもやさしくあることができるよ。

---

『窓際のトットちゃん』が書かれた頃に読んで
小学3年生だった私は衝撃をうけました。

つまらない公立小学校を一年生で退学して
トモエ学園(いまのフリースクールのよう)に通う
トットちゃんがうらやましくて仕方なかった。

いつもこどもの話をうんうんと聴き対等に接する
校長先生のようになりたかった。

おかみさんのように、大きな愛で包み込んでくれる
校長先生の奥様のようになりたかった。

ラストで学園は空襲で焼けたと知り
絶望的な気持ちになった。


….小学生にしてだいぶ煮詰まっていましたかね。

でも読み終えて日常にもどると
夢や希望なんて日々を生きるのに必要ないと信じ
夢は記憶の底にしずんだ。

学校をつくり
トットちゃんと校長先生と奥様になる
自分を大好きで幸せな感覚の中に生きる
こどもたちが巣立っていく夢

その後かるく20年以上忘れていたのだけれど…
思い出して、かなえたよ!

こんどはあなたの番ね。

---

エイプリルフールに書いた未来日記に加筆しました。
ここでも書いたけど
なぜだか、ウソをついている気が、しないの…
きのうはエイプリルフール。
こんな素敵な イベント が立っていたので
私も、と未来日記を書いてみました。

けれど書き上がって読み返してみたら
これ、妄想とかウソというよりも
自分の中ではすでに予定だよね?
という感覚に気づいてしまったよ。
ああ、やるつもりなんだ。

なのでウソとしてではなく
後日アップしようとおもいます。
きのうFacebookのタイムラインを見ていると
ちょっと大ボラふこうと思って書いてたら
何やらビジネスの種になりそうだ
これ本当にやってみよう、などと
ウソから出たまことになりそうな予感が
周りにもチラホラ。

そんな夢のあるウソは
本人も周りも幸せな気分ににさせてくれる。

「こんなこと言ったら…」の制限を
ちょっとはずしてみたら。
意外な可能性がひらけているかも!ね。


息子にはお勉強よりなにより
まず生活力をつけてほしいと願っています。

頭ばっかり使って頭でっかちでも、ねえ。
それだけではごはんも食べられないよ。
買ってくればいいというかもしれないけれど
作ってくれる人あってこそ。

夫もすべて家事を教えてられこなしながら育ったので
週末は当たり前に料理したりお掃除したり。
そんなお父さんとじゃれながら
息子も、まがりなりにも掃除や炊事のまねごとを。
Oh, 家事メンズばんざい!

そんな彼がはじめて洗濯物を干したのは
2歳をちょっとすぎたころ。
{3D9FBE5F-DB26-4706-82E7-D8599679AFBB}

それまでも乾いた洗濯物をよろこんで外し
干すのも毎日見てはいたので
「やってみる?」
と自由にやらせてみたらこんな感じでビックリ。
ひとりでできた、はビギナーズラックだったけどね~
共同作業で干すのは続いてる。

0歳でも
ジップロック袋で浅漬けもみもみしたり
1歳なら
野菜のすじや皮をとってもらったり
こどもサイズのクイックルワイパーそうじしたり
(実際はかなり振り回したり…)

そのときどきで案外お手伝いできると友人らに聞き
へええ!といろいろやらせてみています。
とってもたのしそう。できると「ドヤ!」顔。

本人がやる気出して少しでもできたら、ラッキー。
自分でやる方が10倍早くても
あとあと本人にもかあさんにも役に立つからね。

そう、いまのあそび一つひとつがつながる先って
10年20年後への投資でもあるんだよねえ。
そう思って母は忍耐力の絶賛トレーニング中。
保育園児の息子2歳と
グループホーム人の母70代。


どちらも、集団生活の中で
季節の行事、お祝いごはん、創作、お出かけなど
淡々と続く日常に華やかな彩り
ケの中のハレをあちこちにつくって頂いています。
本人は後でおぼえていないのだけれども
その場その場でたのしめばそれでいいと。


二人がなんだか同じことしているなあ。
老いては、こどもに、なるのですね。
母にとっては初めての
豊かで安心なこども時代を
童心に返って追体験しているようにもみえる。


人はいつからこどもにかえっていくのでしょう。
こどものピュアさはずっと奥深くにもっていて
覆っていたものがとれていくのかな。




家で家族がお世話していたころは
互いにマイナスのエネルギーのぶつけ合い。
それぞれ心の中に家族への愛情いっぱいのはずなのに
すれちがうばかりなのが切なかった。


ちょうどよい距離をとって
環境の変化に慣れる時間を経て
お互いにまた優しくなれるときがめぐってきました。


それはまた別の意味で切ないのだけれど
この先さらにボケが進んでいっても後悔のないよう
イマを大切に、見守っていきたい。
人生の節目、就職。転職。起業。結婚。
出産、2人目以降どうする。
よろこばしいとされる出来事も、その先に何があるのか
いろいろ考えてしまい進めないことってある。

考えるより、ピンと感じたら
思い切ってみるのもありだよ、と思う。

その先に、ネガティヴな話ばかりきいたりする?
たとえば結婚なら、人生の墓場だとか
ダンナと口きかない、粗大ゴミ
こんな人じゃなかったとか。

でもね
情報は何でもあふれているようにみえて
実はフラットに出回ってなんかいない。
幸せな情報はネガティヴな情報と同じようには
まわってこない。

人の不幸は蜜の味で、いくらでも再生されるけれど
夫婦円満で日常がたのしすぎて~♪ なんて
事実だけで何だかやっかまれそうでしょ。
幸せな人は、幸せをわざわざ人に話さずとも味わってる。
(いちいち幸せとかツイテるとか言いたいのは
  逆に何かかかえているのかもね)

幸せ話をするなら、信頼のおける内輪でだけ。
これ、たのしいのよ~

仕事がノリノリで楽しい話
結婚して長いことラブラブな話
こどもが可愛くてたまらない話
etc.
話す方も、きいている方も、にこにこしっぱなし。
そこに、変なつっこみやらが入ることのない深い安心感。

そんな世界があるということ
もしいま囲まれている環境がそうでないとしても
そうなりうること
信じて一歩ふみだすのも、いいんじゃないかとおもうの。