◎内側と外側の自分と一致するには

今日のテーマは自己一致。

 

私が今一番体験したいのは、

内側の自分と外側の自分が一致すること。

 

思いが前のめりになった時、

早く結果を出したい、

自分を信じられないから誰かに確認したい。

 

そういう気持ちが強い時、

外側に答えを求めているとずっとモグラたたきのように外側に振り回される。

 

本当は逆。

先に自信、安心が自分の内側にあって外側に反映されるってことだね。

 

胸の奥で創り出してるのはこの心の安心感とか自信を持つ気持ち。

 

ハートの中心から生きるってやつだね。

安心、幸せセンサーはハートだってこと。

 

安心って足で感じるものじゃなく、ハートで感じるもの。

頭じゃなく足からでもなく、ハートから動く!

 

 

宇宙のひな型が

もしハートの中心から世界を創造するなら

その体験をやってみたい。

 

すべては愛から始まっているってこと。

 

実際にその愛から創造することで

自分の内側と外側が一致した体験ってのをしてみたい。

 

愛から行動したとき、内側と外側が一致するか。

 

きっと行動してやったことも

私にとっては手仕事で愛をこめて作った作品と一緒なんだよね。

 

だからリール動画一つ作ることも、コミュニティを作ることも

料理も作ることも、畑仕事することも私にとっては作品なんだと思う。

 

作品は自分が生み出した子供と一緒だもんね。

 

本当の子供や母との関係は

生まれてしまえば切られてしまうのが健全だけれど、

 

その欠乏を埋めるために

人はお金や名誉や物質的満足を得ようと必死だけれど、

これでは満たされないって気づいたときに、

 

作品としても自分の子供(創造物)を作り出すことでずっと愛につながっていることができるのかも!

 

触れるたび、見るたび、胸があたたかくなる。

 

私、自分で描いたブログの記事やリール動画を作ると何回も何回も見てうっとりする。

でもいいねの数は少なくて(笑)

いつも自分の内側と外側に不一致を感じてがっかりしてる。

 

しかも自分を動画で撮ったしゃべりとか見ると

自分いいこと言ってんなぁ~ってまたうっとり(笑)

 

こうやって客観的に自分が見れると自己評価も上がるんだよね。

 

私いいこと言ってんな~って表現が抽象的だけれど、伝えたいことがギュッと詰まってる感じとか。

全く自分だけの感覚なんだけど(笑)。

 

 

自己一致って外側の評価と一致することじゃない。

 

幸せのポイントは

自分のハートがずっと愛に居続けられるかどうかってことか。

 

もし、宇宙や世界が自分のものでしかないとしたら、

 

この愛に私がいることによって宇宙や世界は愛に満たされているってことかな。

 

つまり外側に見えたものに対して、いいねが足りないとかもっと頑張らなきゃって思うのは、

自分に愛が足りなくて、欠乏感やダメ出ししてる自分を見てるってこと。

 

どこを気にしてるかで自分の今の状態がわかるって

自分を映し出した鏡でもあるね。

 

鏡を見て自分の寝癖を直すとように、自分を映して整えるのがこの外側に映し出した鏡の見方なんだね。

 

だから子供を見てる時、

あんなになんでもかわいいのは

自分の子供らしさをすごく私は大好きで愛してるってこと。

子供たちの笑顔を思い出すとあっという間にご機嫌になる。

 

もし自分の純粋性を優先するなら、もしかしたら私は空気読めない人、同調できない人、

気の利かない人として社会に存在するかも(笑)

 

それでも勇気をもって自分で居続けることができるだろうか。

 

でも調和して生きることが全生命体の目指すところだとすると、

もしかして外側に基準を合わせようとすることの方がズレを作り出して、

自分のハートの中心に合わせることの方が一致する仕組みになってるってことかも。

 

外側に合われようと自分を修正すればするほどズレていく。

どこまでハートの中心でいられるか、感じられるかを

 

はっきりと認識して世界を観察してみたい。

 

世界というか、自分の思考を観察するのかな?

世界をどうとらえてるかは思考が解釈して私に伝えるから。

 

世界に見えてると信じているものは、思考が解釈して今の自我の内側を見せているもの。

 

が本当だとすると、私にとっての自己一致は愛で解釈してそれを受け取ること?

 

たぶん宇宙の法則としては内にあるものが外にあるだから、

すべては一致してるしかないんだよね。

 

大抵はハートからズレた解釈がフィルターになっている。

 

だから自己一致は、外側を変えることじゃなく、内側の解釈を愛で満たして世界を受け取ること。

 

でもまだ愛ですべてが解釈できる自分にはなってない(笑) 視点の転換が必要かな?

 

客観性。 自分というのを自我からいったん切り離して

 

大いなる視点で他人の物語を眺めるように見れたらそれが起こるかも。

 

今やってるヨガ瞑想の目指してるところってそこで、

 

霊眼を開くとかキリスト意識っていうのがそのことじゃないかな。

 

ピンチがチャンスとはよく言うけれど、

 

いつもピンチなことが起こった先にはこういった今私に必要な気付きの学びが隠されている。

 

いつだって世界は私の今の内側にあるものを見せて、

 

その自分でいいのかと問い続けているんだ。

 

何を着るかを気にしている自分だと、人の期待や評価に振り回され、

 

自分の内側の真実にフォーカスすれば、

いやいや私の心の平安はそこじゃないと言ってくる。

 

このことを踏まえて世界を眺めて

心に浮かんだことを大切に生きると

 

自然と自分と一致するってことだね。