分離した世の中で、

それらをもう一度つなぎなおす方法があるとすれば

それは対話なのではないだろうか。

 



自己との対話。

 

他者との対話。

 

体との対話。

 

動物や植物との対話。

 

自然界や神との対話…。

 

あらゆる対象と向き合って、

一心に気を傾けると

 

そこから聞こえてくるのは

言葉ではない情報がきこえてくる。

 

 

分離不安という

赤ちゃんが母親の肉体から分離して

この世に生まれ落ち、

 

生態的にも未発達のまま

この世界に放り出される

人間の赤ちゃんは、

 

生まれてからも母親との分離があいまいなまま

へその緒がつながっている状態で成長する。

 

安心、安全な養育と母親の加護のもと

自立の時期まで何も問題なく養育期を過ごせたひとは

意外と少ないのではないだろうか。

 

自立のしにくい社会背景や

経済の仕組みから

ますますわたしたちは

依存という分離不安の中にとどまっている。

 

母との分離なしには

自己の確立はなく、

 

外側に同化した中に

投影や自己否定を映し出すことをやめない限り

 

本当の自分と出会うことができない。

 

自分という星に中心軸を立てて、

大地に根付いて、空に向かって芽を出し、

 

はじめて自分という宇宙の中心に立つ。

 

 

そんな自分に還るツールの一つに

オープンダイアローグはある。

 

他者に投影していたものを

自分のものとして理解して世界に

 

自らの選択権をもう一度

取り戻すことができる。

 

かつて脆弱な自己が

痛みの恐れから無意識に避けてきた

自分の感情との関係を

 

安心、安全なものとして

取り戻したとき、

 

わたしたちは感情を恐れることなく

 

愛で受け入れ、許し、共感し

自分との関係、他者との関係を

回復していく。



オープンダイアローグは1980年代に

フィンランドのケロプタス病院で

統合失調症の治療的介入の精神療法として始まりましたが、

 

”未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogue)”として

多機能、多職種が連携して行う

対人支援活動をうまくやっていくための方法として

現在注目されています。

 

内在化された自己に

出口をもらった自己表現は

 

世界に自分を登場させて

本当の自己の姿を外在化することでしょう。

 

また他者とのつながりを回復した私は

自己の能力を発揮して

拡大自己(チーム)として他者との連携を取り

活躍の場を、命の喜びを

回復することが可能になります。

 

わたしたちの手のひらに流れる血潮の先に

あなたや他者や

植物や自然界や

有機的なつながりが

 

つながって行動したとき

 

わたしたちの未来は

私たちのものになります。