夏至に向かって容赦なく高まるエネルギーに勢いづいた緑の勢力とともに、

わたしという生態も宇宙のエネルギーの影響を受けるかのように

エネルギッシュに活動する。

 

 

日中浴びた太陽エネルギーの激しさが、眠りにつく夜になってもまだ冷めやらず、

夜中に何度も目が覚める。

(夜中に頭に浮かぶことなんてどうせ陰気を帯びているんだから…)

 

地球上のストレスとも思われる重力が、

一時いつもより軽くなるような錯覚のもとに体を酷使した結果、

夏至点を境に外に向かっていたエネルギーが

自分の内側にゆっくりと還ってきて、

 

ああ私、疲れていたんだねと共感力を取り戻す。

 

どうにもこの地球を足元に、

宇宙の惑星のエネルギーの影響を体にじかに受ける有様は、

面白いほどに単純で正直だ。

 

私の思考を裏切って体は重力との戦いの中、

外の世界にブレーキをかける。

 

わたしといういのちの種に一生分の創造エネルギーを握りしめて、

母の母体から(宇宙の虚空から)切り離され、

この創造世界に生れ出た瞬間からこうなることはわかっていたはずなのに

今はもう覚えていない。

 

自分といういのちの種に、

この地球でいのちを生きる生殖欲求に支配される動物的要素と

枠を外した調和を生きる宇宙的要素の植物的な自分がいるのを感じる。

 

植物的な自分は、

わたしの好きか嫌いかの拘りより、

全体性に帰依するかのように自分の在り方を自在に変化する。

 

生き延びるため、というより

それが心地いいから、喜びだから。

そんな在り方をマスターしたい。

 

畑に蒔いた種の成長を眺めながら、

自分という種も確実にこの地球という大地に根付いて

宇宙的エネルギーを帯びながら着々と育っているというのを感じる。

 

ふだん人にさんざん言っていることが、

自分にできていない自分との、体との調和、他者との調和、大地との調和。

 

個としての体(境界)を使った学び、経験。

循環するエネルギーのなかに形を変え、色を変える。

内在化されたいのちの種が放射し、可視化されるエネルギー。

 

地球の重力から解放され、私といういのちの種が放射し、

宇宙の空間にわたしたちが創造するもの。

 

今の学びの、経験のステージはそこかな。

ケンタウロスのごとく、馬の尻を叩かずに。