毎朝、食卓で向き合う娘と食事の後もいろいろ話すのが
最近のウォーミングアップみたいになってる。
鏡に向き合うみたいに娘の前髪の分け目についてとやかく言う私。

時間泥棒と注意泥棒にならないようお互いのニーズを大切にしつつ(笑)。

 

 

昨日、不登校の子どもたちや若者を支援するという講演会に参加して

今更だけど、不登校ってどういう社会現象だろう?

 

なんてことをいろいろ話したこともあって、

自分もかつて不登校で高校を退学して

人生を彷徨った経験について

普通に抵抗なく社会に適応できるみんなと

何が違いがあったのだろうと人生を振り返ると、

 

魂が主導だった感じがする。

 

目の前の娘が小さい頃、やっぱり不登校のお友だちと

夏休み恒例の海水浴旅行の静岡の海辺の砂浜で

 

髪も皮膚も砂埃だらけになって

「今夜海辺で野宿しよう!」なんてアイディアを本気にして

みんなのための穴を日が沈むのも忘れて掘り続けた姿を思い出した。

 



それって、まさにリトルトリーにそっくりな容貌。

 

目の前の20歳になった娘と、その時の娘が重なって

う~~~ん、今の娘の中にリトルトリーな娘もいるんだとはっきり感じる。

というか、そうあってほしいと願っている。

 

そんな娘が、ニヒリズムて何だか知ってる?とか

実存主義ってどういうこと?なんて質問を

私に投げかけてくるな時がくるなんて

 

20年前に心の友だちがいなかった私に

神様が与えてくれた娘は、

 

今や親と子の関係を超えて、
いろんな話を対等に話し合える友になった。

私の知らないことも教えてくれる。

彼女の歩調に合わせ歩いて通った幼稚園の道のり

彼女の質で自分を大切に生きる生き方を

 

彼女を通して教わっている。

自分を生きることを学んでいる。

 

人間を1本の木に喩えると、

ひとりひとりが生涯を通して、

唯一無二のいのちの木を成長させる。

 

それは決して人と同じようにはならないし、

同じ速度で大きくもならない。

 

むしろ

ありのままで。

 

ありのままで生きることって

枠を外すことってすごいチャレンジだけど

 

実はそうあることで

あなたのまわりに生息する生態系と

つながりあって、協力し合って、

 

大きな自分を生きている。

 

地球全体は

不調和を調和させるために

海や風や土の中まで

 

動物や植物や菌や鉱物などの数々と

 

気候変動や災害や

人災や社会現象まで


小さな命を大きな命のために

様々な種が

増えたり減ったりして

いのちのバランスを取っている。

 

小さな命は決して犠牲になったのではなく、

全体の命がつながっていることを知っているので

 

そこに自分がいることを知っている。

 

わたしたちは

自分や自分の回り、

あるいは地球全体で

 

一つの必要(Needs)があって今を共に生きているんだと思う。