もし、自分に還る場所があるとするなら、
とうりゃんせとうりゃんせ、ここはどうこの細道じゃ…じゃないけど

行きたい場所があって、そしていつもどうしても通れない道がある。

 

自分に触れようと思うと、

いつも自分を誤魔化してかわされてしまう

他の誰かの感情や考えに寄り添ってしまう私がいる。



 

母の肉体からへその緒を断ち、

別の分離した体として切り落とされても、

 

なお母の感情に寄り添い続け、自分のものなのか、

相手のものなのか未分化に生きている日常を

 

思春期になって摂食障害という病の形で分離への機会が与えられた。

まさしく、分離不安丸出しの闇に放り投げられたような心の途方もない不安。

 

まるで子宮の中に戻ってしまった方が安全だ、

とばかりにひとり部屋の中に引きこもる日々を送り、

 

物理的には16歳から親元を離れての一人暮らしが始まったが、

それからの10年、いやつい最近までも逆に執着が募るばかりだったのかも。

 

私の人生において親の影響は強く、そのへその緒を切って

自分に辿り着くまでにこんなにも長い年月が必要っだったなんて、

 

今更ながらに…厄介な人生だ。

 

しかもうまくいっていた人生まるごとひっくり返すくらいの大騒ぎだ。

 

一人の人間が自立するって

並々ならぬエネルギーが必要だ。

 

子育てって、個として独り立ちするって

すごいことなんだな~。

 

人生を幸だ不幸だと運動会の玉入れのように紅白玉の数を数えたところで

本当の勝利なんて、玉の数の差ではないことに気づき始める。

 

自分の一生を使って、

一筋縄にはいかない物語を生きているのは

はたから見ると、

 

劣等生だったり、落ちこぼれだったり、可哀そうな人…などなど

レッテルを貼られてしまいそうだけれど、

人生に優劣はない。

すべて完ぺきな筋書きらしい。

 

人それぞれ、

何を人生のテーマに選んできたかにもよると思うけれど

 

私で言うと

自分に還る道。

 

大袈裟だけど、自分への愛に辿り着く工程なのかな。

 

しかも単なる自己愛とは違う

外側に映し出された胸像関係をすべて内側に集約する完全なる愛。

観る者と観られる者。

大地から切り落とされる瞬間、
母の母体から切り落とされる瞬間、

 

わたしたちは

観る者と観られる者のそれぞれの視点に

大いなる自己から分離する。

 

でも意識はつながったまま

個としての分離感覚に

 

なんでこんな長い間、面倒なことを引きずり続けるのか、わざわざ人生に設定してきたのか。

命がけで他人の人生も巻き込んで、こんなことをやっているのは

 

愛に辿り着くため。

それもすべてを包括する完全なる愛。

 

しかも頭で考えた愛じゃないから

厄介だ。

 

考えとは別のところに

見た目とは違う所に

 

愛があったりする。

私だけのオンリーワンの物語。

ハートにヒットする落としどころがある。

 

今もそんなハートの感覚を大切に

自分との距離を埋めている。

 

もうすぐもうすぐ

私に辿り着く。

徹底的に自分に寄り添う。

自分と対話する。



失敗することも悪いことじゃないのかも。

経験することを、感じることを、やりにきた。

転ぶのを恐れずに自分の殻から飛び出してみる。

 

何も持たずに素の私で。


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