最近、我が家の庭を眺めながら、「あっ、ここ、もう少し草刈った方がいいな。」、とか。
「この植物はここにあった方がいいな」、とか、「この通り道にこれがあると都合がいいな」、とか…。
パーマカルチャー的な観点で家の中から飛び出して、家の外まで気がいっている。
2年くらい前に大地の再生とパーマカルチャーのワークショップに参加して学んだ経験が少し自分の身の回りにも実践しつつある。
不思議なことに家という自分の住み処に作る環境と自分のエゴを受け入れることが一緒であることを最近強く感じる。
自分の意識が拡大していくと自分のまわりの環境ともつながっていくので、自然と意識は家の中を飛び出して庭や畑、ゆくはコミュニティへと拡がっていく。
家という自分の中心(0ポイント)私という種が大地に芽を出し、成長し、自分のまわりの環境と調和して創り出す世界は、自分が何を生業にして生きるかもそうだけど、そこから創り出すエネルギー循環が家の経済で、体と家とつながる世界が環境。
この経済と環境は自分の生き方と切っても切れない、二人三脚な関係。
環境を破壊すると、自分も病気になる…とか。
経済やエネルギーの流れを貯め込んだり、手放せずにいると、また心や体や環境がバランスを崩す…とか。
からだ(自分)と環境(大地)は切っても切れない関係にある。
"Economy"(経済)という言葉の語源を辿ると、
"Eco-"はギリシャ語で「家・家庭・家計」などをあらわす"oikos(オイコス)"に由来する接頭語で、"-nomy"はギリシャ語で「法・秩序」をあらす"nomos(ノモス)"に由来し、秩序や法則性、あるいは学問をあらわす語につく接尾語になります。
"Ecology"も語源を辿ると、
"Eco"+"logy"、"-logy"はギリシャ語で「言葉・言語」をあらわす"logos(ロゴス)"に由来し、やはり学問や研究をあらわす語につく接尾語ですから、"Ecology"もやはり「家計の学問」という意味になってしまいます。もっとも"Eco"は「家」や「家庭」という意味を持ちますから転じて、共同体の最小単位、生活環境という位のニュアンスを持つのかもしれません。
わたしのコンサルの先生と対話して、このことを煮詰めたんだけど、その時の対話の様子を貼ってみる。
わたしたちは共にケン・ウィルバーの著書でこの話題を共有している。
この複雑な話を全部は説明できないんですけど、自我意識(エゴ)と環境(エコ)のつながりについて。
Q1)「つながり」ってのがどういうことか?
A 共感、理解、信頼、思い遣り、愛かな。エネルギーの通り道。
Q2)つながりを取り戻すとどうなれるのか?(精神的に、肉体的に)
A 一人のひとが自分だけで孤独でいるときはその領域の中でエネルギーがぐるぐるしてるけど、
他のものとつながるとエネルギーの出口ができて、自分を通してより大きなエネルギーが流れる。水の流れと一緒で水が滞りなく流れていると水はきれいで自分も健康。
一人で生きてるよりもより大きな可能性の自分に出会えて、多くのことを感じることができる。
大きな流れの中に自分も入ったからよりパワフルでエネルギッシュになる。
1つの元素であるよりもいろんな元素と化合することで、物質を創り出す錬金術。
人と人や物、分離したものとつながることで大きな宝を創り出すことが出来る。
肉体的には土とからだの関係性、体感を明確に説明する。
土の健康=体の健康 土の中=土の上
・腸管造血(千島学説)
血液と菌との関係(甲田式食べない生き方)フリーエネルギ―的構造。
・腸と脳のつながり
(世の中の縮図、腸の中の善玉菌と悪玉菌の戦いで健康が保たれる)人口の内日和見菌が多数。
思考が現実化する。不安や心配が腸と連動して病気を創り出す。
もしくは腸の不調から精神状態が悪化する(マクロビオティックの考え)。
除菌や抗生剤や食品に含まれる添加物によって人間の体の常在菌が失われ自然治癒力の低下によ る病気と、土壌では農薬、化学肥料の使用で土の中の微生物や生態系が崩れ、地球全体の環境を 破壊している。(人間の欲(エゴ)VS環境の破壊(エコ))
精神的には
ウィルバー、マズローなどの学説から
人類の意識の成長(飢えや貧窮、自己否定や自己肯定感の低さ(サバイバー))から
自己受容や自己実現など健全な心理発達と意識成長をし成熟する。
Q3)そのための方法はなにか?
A 自然体験、農体験。
食事療法。断食。野草や自然につくられた野菜を食べる。
自己統合ワーク。(自分を知り、自分を受け入れ、自分を愛する)
つながりを回復する。
自我がつながりを回復すると、
人間の欲(エゴ)VS環境の破壊(エコ) が、
共感と理解、欠乏の恐れによる欲を手放し
人間=環境(大地) になる。
世の中はテクノロジーがますます発達して、農業も販売を工場もAIが担う時代に
生身の体を使って、農や自然や人とのつながりを体験することは分離した世の中で
どんなに孤独なふりをしたって、人はひとりでは在りえないんだよって、思い知らされちゃう貴重な体験なんだよね。