【闘病日記】病気からの再生とゆで卵の話
回復とは、なんだろう。 元に戻るとは、なんだろう。 統合失調症になり、日々、生きづらい世界を生きる私は「回復」という言葉がとても重く感じられます。「回復」とは再生の道を「歩き続ける」こと。 日々体調が変わる精神病者は、コツコツ何かを続けることは簡単なようで難しいのです。 ▽元々出来ていた自分になること=回復ではない 私が結構好きな精神科医YouTuberこと、樺沢紫苑先生は先日の動画(https://youtu.be/g4PXrUQjQg4?si=vCKtSXDhlicp_ZEK)で、「メンタル疾患が良くなっても脳の機能は回復しない」と仰っていました。 そんなタイトルだと語弊があるかも知れませんが、脳の機能が落ちない、変わらない方も一定数いるとのこと。 とはいえ、脳機能が落ちることは不安そのものですよね。 脳の機能を考える上で、出来なかったことを悔やむご家族の方、出来ない自分に✖︎をつける当事者の方、非常に多いです。 しかし、私は元の自分に戻ることが正解ではないと思います。 私にとって統合失調症とは、料理の材料は同じなのに、「味付け」が変わってしまったような感覚。 ゆで卵だったのが、味玉になるような出来事です!(笑) 同じ茹でた卵なのにまるで違う性質を持っているように感じませんか? また、ゆで卵が重宝される場所と、味玉が重宝される場所も違います。 最終的にサンドイッチになるか、ラーメンになるか。方向性がかなり変わってきます。 そんな変化を抱えた自分に、昔と同じ生き方を求め続ける必要はないのです。むしろ、適応しようと過剰に頑張ってしまうので、酷なことです。 そんなだから、特性を活かす。視点を変える。 私はそうやって、自分の特性と折り合いをつけながら、なんとか生きています。 正論で割り切れない体調、苦しい時もあるけどね。 ▽料理の出来なくなった女の行く末は? 私は料理が出来なくなりました。 毎日好きで頑張って買い物をして、頑張って料理をして、30分で何品か作って、後片付けもして。 それが統合失調症になってから、毎日キッチンに立つのがしんどくなりました。 料理の買い出しをしても、情報量の多さに困惑し、献立を決めるのも一苦労。 最終的に具合が悪くなると寝込んでしまい、何も作れない。「大好きな料理をすると、疲労がどっと溜まる」 その事実に気づいたのは、統合失調症になってから退院後まもなくのことでした。 ゲーム的に例えれば、MAXのHPゲージが100のところ、半分の50持っていかれます。50しかない時は0になります。見事な戦闘不能(笑) だからその代わりの疲れない工程(インスタント、惣菜、誰かに代わってもらうなど)に変更しなくてはなりません。 しかし日常に流れてくるのは料理だけではありません。明日の準備や仕事のこと、子育て。マルチタスクすぎますね。 のしかかってくる予定に食い潰される感覚が正直怖いです。 タスクコントロールを失敗すれば、自分の疲労としてダイレクトにかかってくる。私の心が死んでしまう。 そんな切羽詰まった状況で、毎日キッチンに立っているわけです。 ただ、創作する、という行為は好きです。 加えて、料理の目的が「美味しい物を食べる」に変換されると、疲労が軽減します。 そんな「考えの捉え直し」という大きな労力を必要としながら、私はやっと人並みの生活が出来ます。 ゆで卵の私は、本当に料理が好きでした。休日は家族でお菓子も作るくらい、料理に誇りを持っていました。 統合失調症を経て、ゆで卵から味玉になった私は、料理の効率化とストレスコントロールをしないとキッチンに立てなくなりました。 過去の栄光を知っているからこそ、今の不出来な自分が悲しいし、愛しくもなりますね。 でも、病気になって何かしらの悲しみを感じている方は、いつも経験している日常的な喪失です。 それが私の場合は、料理のパラメーターにデバフを受けてしまっただけ。 でも、それでいいんです。 料理が出来なくても、私は私のままだと気づきました。 多分、私らしさは消えない。ずっと残る。 私は統合失調症になってから何者かになりたかった。 誰かを救える何かになりたかった。 でもそう構えているからこそ、頑張りすぎてしまって、視野が狭くなるのも事実。 私が私らしく一生懸命に現実を捉え直し、なんとなく生きている様を見せている方が楽しいのではないでしょうか。 誰かを救いたいという使命感丸出しの統合失調症の勇者になることより説得力があるのではないでしょうか。 もしゆで卵に戻りたかったら、時間をかけながら近づくことは出来ます。 全く別のものになりたい人は、周りがなんと言おうとなればいい。 私はなんだかんだ言っても料理をこなせる私が好きなので、現状の味玉に満足せず、別の何かになりたいと思ってしまいます。 それが何なのか、まだ分かりません。 回復の形は、一つではありません。 あなたの自分の形はどんな形ですか? どうか、せめて自分らしく。誇らしく。