私は度々、某メジャーリーガーの周辺の事を話題にしていますが、その「某選手」は
高校時代から、しっかりと自分の目標を決めて、9×9のマスを大きな紙に書いて真ん中に成し遂げたい目標を書いて実行した事で有名ですね。
目標達成まで、81マスに書いた事を実行してきたとか。
「ゴミを拾う」という行為も有名で、グラウンドでもゴミを拾う姿が注目されていました。
そして、最近では始球式に病気でなかなか野球を見に来れない少年を招待したり、練習の際にサインを欲しがる子どものために、警備員に頼んでフェンスのドアを開けてもらったり…。
それらの行動がいちいち「神対応」とされています。
ちょっと違うんじゃない?
百歩譲って、ゴミをさりげなく拾うことは良いことだし、グラウンドを神聖な場所と考えているなら当然だし、「善行」だとは言えますね。
それでも、アメリカに住んでいる某選手がいつもゴミを拾っていたら、多分家に着くまでに大きなゴミ袋が一杯になってしまうでしょ(笑)
彼は、明らかに「みんなの見ている所でゴミを拾う」のです。
カメラのいる所で、子どもに対してドアを開けるように頼んでいるのです。
だって、球団公式動画サイトでその様子が公開されてるんですからね。
さてさて、本題の「神対応」という表現ですけれど、皆様は神様に実際会ったり、見たりした事ありますか?
(私の友人の霊媒師は、見えるそうです)
特殊な能力のある方以外、私も含めて一般の人には神様は見えない存在です。
だからこそ尊いと言えます。
見えないからといって、居ないとか存在しないわけでは無いんですね。
存在が大きすぎて見えないのだと、私は思っています。
ですから、本当の神対応は「見えません!」
目に見える某選手の行いは、単なる「善行」であってあくまでも「良い人アピール」だと私は思っています。
どんなに周りの人が某選手を褒めても、どんなにメディアが某選手を讃えても、私はそれらの行動は「神対応」とは認めません。
もっと厳しく言うと、「善行」(良い行い)は本来はひとの見ていないところでやるべきこと。
おそらく某選手は子どもや孫に莫大な遺産を残すことになるでしょうね。
私は鉄舟の言葉を思い出しました。
子どもに何を残すべきなのかについて、鉄舟は『金を積んで子孫に残す。子孫未だ必ずしも守らず。書を積んで以て子孫に遺す。子孫未だ必ずしも読まず。陰徳を冥々の中に積むにしかず。以て子孫長久の計となす』
と書いています。
財産よりも、本よりも陰徳を積む事。
それが後になって、自分が死んだ後まで世の中に知られて、子孫の名誉にもなるのでしょうね。
鉄舟の言葉「〜陰徳を冥々の中に積むにしかず。以て子孫長久の計となす」
ですね。