´19.11.15。
立派なおばさんですが、私は今第2幕な人生を生きています。
いろいろと考えすぎて勝手に1人で修行をしていたかのような第1幕な人生でした。
誰かを幸せな気持ちにさせてあげれば私も勝手に幸せになれると信じていた人生。
誰かの為に行動していれば、その誰かが私の事も幸せにしてくれるんだと信じ込んでいた。
みんな自分を曲げて我慢して誰かに合わせて生きていくものだと信じきっていた人生。
ずっとずっとずっと誰かに合わせて振舞って疲れ果てて閉じこもって生きてきた。
それが楽だったわけじゃない。
みんなそうやって誰かに合わせて必死に生きているんだと思ってきた。
こんなに不安定で空っぽでしんどいのか生きていくのは…って毎日毎日思っていた。
『生きていくって楽しいことばっかりじゃないから』って耳に目にする度に『そうやでな』って大分とズレた感覚のところで納得して日々我慢の連続。
ちゃうちゃう。辛いこともあるんやけど、まずアンタの生き方ってまだアンタの人生すら始まってないからね!って話でした。
持って生まれた性質や性格。育った環境に
よって構築された私。
私の人生を苦しめたトラウマ。それによって植え込まれた羞恥心。
はぁ~~~~~~~~~しんど。な毎日。
そんないつも通りの暗い毎日の中でキリトさんのパック姿の動画に巡り会えて、そこから数年紆余曲折があり、今年の初めに、もう私は赤ちゃんから始める!!って決めて今に至っているわけですが。
キリトさんのパック姿の動画に巡り会えて、ズドーーンッとテンション上がって、そこから人生上々!って毎日で、ただただ楽しい数年を過ごした。その時は、私、変われたわ、これ!って思っていた。(AngeloのLiveに行き始めた四年五ヶ月前頃~)
そこからAngeloの無期限活動休止があったり、プライベートでいろいろあったりする中で、あれ?基本的な所は全く成長してないか?って気付きだして、またドーーーンッと落ちてたのが今年初め頃。
違うな、これ。ただただ浮かれてるだけのところもあるなってなって、ちょっと落ち着けーってなって、自問自答する日々がまた始まって、またいろんな気付きがあった。
過去を振り返った時に後悔の思いってなくて、それって後悔するほどの経験をしてこなかっただけだなとか、
憧れの人や生活をしている人、周りの人にこんな私を引っ張り上げてよって思いながら我慢して誰かに尽くしてきた。
引っ張りあげてよって。バカか!
自分がそうなりたいのか、なりたくないのか、その場所に行きたいのか、行きたくないのか?の問題でした。
引っ張り上げてもらえると思い込んできた。そうじゃなくて、そんな場所に自分が行くのか行かないのかってだけの話でした。
私のままで過ごしてみて(流石にもう大人なので無闇矢鱈にありのままって訳ではないですが)楽しいことを楽しんで、辛いことをどう乗り越えて行けるのかすら楽しんで、出来ることを出来る限りに。
今までキリトさんと巡り会えたことで、私の命が再生したなって感じて過ごしてきた。
生きる世界を与えてもらったような、こんな私でも生きていてもいいんじゃないかって思わせて貰えたような、生きる希望とか勇気を与えてもらえたんやって感じて過ごしてきたけれど、最近ふと思った。
あ、1つの生き方を教わったんやなって。
何も出来ない脳足りんな私は生きている事が苦しかった。
生きてる価値のない人間なのに自分で自分の命を終わらせる勇気も無くただ時の流れに身を任せて生きている事に罪悪感を抱いて。
好き・嫌い、出来る・出来ない、やる・やらない、楽しい・楽しくない、辛い・辛くない、、、自分に素直に、そこから必要なら学べばいいじゃんっていう、生きるってそれはそれはとてもシンプルなこと。
こんなことを今更気付いて人生を生き直せる環境にいるって、ラッキーだ。
私は私。
こんな私の生きる道は私が手綱を握らなければ荊の道でしかなくなってしまって、どれだけ歩みを進めても、答えを誰かに委ねて甘えていたら景色は変わっても進歩は無くて。
誰かを幸せにしたり気分良くなるようにしていれば自分も幸せになれる、私も幸せにしてもらえるって信じて生きるしか出来ない私がいた。
我慢我慢我慢我慢。
ずっと我慢して耐えて。
何故かな。
キリトさんのパック姿のYouTubeのサムネを見つけて動画を見終えた後、そんな自分の殻を破ってる自分が既にいた。
無知で無防備な私はただ今までの鬱憤を爆発させただけやったけど、そこから自分の道を歩み始めて今に至って。
自分の意思で歩んで右往左往すれば、自ずと問題点が明確になってきて進歩に繋がる。
過去の私は誰かが右往左往していれば、誰かの為にその問題を解決するために右往左往して彷徨ってきた。
要は依存して縋っていたってこと。
どうしようもないよね、こんな人間。
あなた頭大丈夫?いい歳して。
って話です。
こんな私に生まれてこんな私に育って、こんなおばちゃんやけど、私は私で一生懸命に生きて命を大切に生きていく。
私はこの身体で生きて笑って泣いて寿命を全うする。
どこかに行方不明やった自分の魂を見つけて?蘇らせて?目覚めさせて?やっと身体と1つになって生きているって感覚。
キリトさんに何故か教わったこと。
生きるってシンプル。
その他のことは、その他のことにすぎない。
まずは、自分あってのその他のこと。
いくら困っている人を救えても、いくら悲しい人を笑わせてあげれるようになっても、自分で自分を救えなけりゃ、自分で自分を笑わせてあげれるようにならなけりゃ、結果大切な人を困らせて笑顔を奪うことになる。
巡る地点が自分(不幸)なら、結果巡り巡って自分に返ってくる。
Angeloとキリトさんのファンになって四年五ヶ月が過ぎた。
『鏡は先に笑わない』ということ。