昨日はなんだか、やるせなかったというか、BADに入っていたというか、参っていたというか。
今日だってそんなに元気では無いけれど「自律神経を整えましょう!」みたいな動画を昨夜に見ては起きてすぐに常温の水を飲んだ。
歯磨きをしながら、なんとなく口角を上げてみた。
参ってしまう日もあって、参っていても仕方ないと焦らなくてもいいだろう。
目が覚めて、機嫌が良くないのなら、一日くらい浪費したって構わないと思うんだ。
何者かになりたいのなら、より焦るだろう。
始めから、何者にもなれやしない。
そのくらい極端に諦めていても、生きていればなんとか、なるようになる。
何者かになれるのなら、一日くらい浪費したって何者かになってしまうよ。
そんなに必死に、焦らなくていいと思う。
どんな一日でも生きてさえいればいい。
青空を飛ぶ飛行機、眩しいくらい真っ白な雲。
世界は美しいだろうけれど、私には眩し過ぎる。
快適に生きる為には、サングラスというフィルターが必要不可欠。
たばこの煙だって、フィルターを通してより私に快適な喫煙を齎してくれる。
ウイスキーだって、氷を入れれば飲みやすくなる。
無理に原液で楽しまなくていい。
私の終わってる文章だってそうだと思う。
読む人それぞれがフィルターとなり、好きな様に解釈しては、楽しんで貰えたらいい。
私としてはあまり何も考えず、己の思考に身を任せるまま認めているのだから。
謝った表現もたくさん、なんなら質問された時には真逆の解答すらもあるだろう。
原液を楽しんでいる様に見える人も、それぞれがフィルターとなっているのではなかろうか。
さておき、私には原液で楽しめない。
なんなら、理解する事すらも容易ではない。
それも時間をかければ、フィルターを通しに通せば理解し、楽しむ事ができるだろう。
なんて、当たり前なんですか?
私にとっては世紀の大発見なのですが。
確かに世界は美しい、けれど私にはフィルターが無ければ毒に等しい。
そんな私だからこそ、声を大にするべきなのでは無いだろうか。
「あなたには天命がある」なんて信じてはいないけれど、あったら嬉しいよね。
でも「あなたはこれをやって下さい」なんてのは下々のやる事。
何をするべきなのか、考えて行動しなくては仕方がない。
分からないのなら、手当り次第やるしか無い。
だるいよなぁ。
だるいとも言っていられなくなる時もある。
なぜ私はこの人生を歩んでいるのだろうか。
分からなくても、勝手に死ぬんじゃねぇ。
とりあえず、生きるんだ。